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生きたいと想って。生きたいと願って。だから生きているのだと思えるこの場所で――
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 左手が、あたたかい。
 エインレールが目を覚まして、最初に思ったことは、それだった。
 しばらくはそのまま思考が働かず、視線の先にある白い天井を、ぼうっと眺めていた。
 それから徐々に何があったのかを、思い出す。
 なにやら身体全体が気怠いが、脇腹はちっとも痛くない。自由な右手でそっと擦ると、包帯が丁寧に巻いてあることがわかった。それでもそれらは申し訳程度のもので、実際は触れてもつねっても、引き裂かれたことによる痛みはない。
 なぜ痛くないのだろう。
 頭をもたげた疑問は、すぐに自分によって解を得た。ああ、そうだ。アーシャのおかげだ。あの光の、おかげだ。―――彼女は、どこだ。
 カッと目を開いた。上半身を素早く起こす。脇腹に、多少の痛み。どうやら完全に快復したわけではないらしい。それでも驚異の回復率ではあるが。
 いや、そんなことはどうでもいいのだ。
 アーシャ。
 彼女の名を呼び、見渡し、―――ああ、とため息を吐く。
 左手のぬくりもりの先に、彼女はいた。ベッドの横に座り込み、右手でエインレールの手を握ったまま、突っ伏して寝ている。そんなところで寝ていては風邪を引くぞ、と思う。それでもそこにいてくれたことが嬉しくて、口元が緩む。すやすやと眠る彼女の表情が、いつもどおりで、安心する。
 あの時。
 本気でアーシャを失ってしまうかと思った。二度もだ。
 一度目は、あの得体の知れぬ、自分の妹の姿を取った何かが彼女に剣を振り下ろした時。
 二度目は、彼女がエインレールを助けようと、自分を捨てた時だ。
 どちらが一層心臓を縮めたかといえば、無論後者だった。前者からは、自分が救ったという自負さえ、一瞬浮かんだのだ。――今となれば、それで自分が死んでいては、わけがないのだが。
 まさかあの場で、自分がああ動けるとは、思わなかった。それがいいことなのかも、わからない。
 疑うべき、だったのだ。彼女が敵か味方か。いや、実際疑っていたのだ。そして、どちらが本当かの判断に迷っていた。――それすらも、本来ならば“駄目”だ。あの場で彼女が王へ魔法を放ったのは事実。殺すまではいかずとも、取り押さえるのが道理。
 なのにできなかった。
 そして彼女に剣が振り下ろされた時、一にも二もなく、裏切りも何も関係なく、自分の立場も全て捨て去って、頭の中が真っ白になって、…気付いたら動いていた。
「どうかしてる…」
 ふっ、と自嘲する。本当に、どうかしている。
 それでも彼女が助かったことだけが、こんなにも嬉しい。
 そうして、ふと思う。きっと自分は、王には向かない。一人の人間にこうも動かされるようでは、みなを守る王にはなれない。その役目は、そもそもエインレールに回ってくることはないのだが。今は、その事実に、心底安堵する。
「ん………」
 アーシャが眉を寄せた。んん、と唸る。起こしてしまっただろうか。ジッと様子をうかがっていると、やがてのろのろと瞼が持ち上がる。茜色が、エインレールを捕えた。
「え、…!」
 半開きだった瞼が一気に開いた。しばらくぱくぱくと口を動かしていたが、やがてくしゃりと顔を歪め、驚いたと言わんばかりの表情は、今にも泣きそうなものに取って代わった。
「アーシャ、その…」
 声を掛けようと試みたものの、その続きが思いつかない。参った、と顔を天井に向けた途端に、トン、と軽い衝撃と、ぬくもり。
 緋色の髪から、ふわりといい香りが鼻を掠める。それにどうしようもなくドキリと心臓が高鳴る。こんな時だというのに、不謹慎だ。
 っく、と押し殺した嗚咽が耳を突く。肩が震えている。胸元をぎゅうと握った両手も、時折ひどく弱まる。
 彼女は、全身で泣いていた。
 泣かせているのは、たぶん、自分だ。
 どうすればいいのだろう。エインレールは途方に暮れた。
 大丈夫だと伝えればいいのか。その弱々しい身体を掻き抱けばいいのか。何もせずにこうしているのがいいのか。
 自分はもっと機転が利くタイプだと思っていたのだが、どうも、いけない。
 結局、いつものように、ぽんとその頭に手を置いた。なるべく優しく、丁寧に、その頭を撫で、髪を梳く。
「え、…えい、エイン、は…!」
 つっかえつっかえに、アーシャが言葉を紡ぐ。ひっく、と一度嗚咽を漏らした後に、一気に終わりまで述べた。
「エインは馬鹿です!」
「ば、ばかって…」
 それが一国の王子に対して放つ言葉か。しかし何より、彼女らしい一言である気もした。
「馬鹿ですよ! なんで、…なんで飛び込んでなんて、助けになんて、来たんですか! ま、魔法が効かないって、治療もできないって、そんなの知ってたんですよね? それだったら、なんで怪我をしに来るんですか! そんなの嬉しくないです。迷惑です。あ、あたし、あたしは、あたしの所為でエインが死ぬなんて、そんなのいやです。それなのに、勝手に飛び込んできて、怪我して、な、治せないって、それ聞いて、それであたしがど、どれだけ、どれだけ頭の中真っ白になったか…!」
 一気に捲くし立てた彼女は、最後にフッと力を抜いた。ゆっくりと身体を離す。至近距離から見た彼女の顔は、怒りと悲しみがない交ぜになっていた。
「死んじゃうかと、思って、どれだけ怖かったか…」
 つう、と涙が頬を一筋流れて、それからふっと、目を細めた。
「生きてて、よかった」
 一番弱々しい言葉は、一番心に響いた。
「…ごめん」
 他に何を言うべきだろう。考えながら、でもまとめる暇もなく、ただ言葉が零れる。
「心配、掛けた。本当に、悪かった」
 でも、と言い訳のように続ける。
「…お前も同じだ。俺だって、お前が死ぬんじゃないかと思って、…俺がどれだけ怖かったか」
 そうだ。怖かったんだ、自分は。堪らなく怖かった。だから。
「だから、たぶん俺は同じことをするよ。同じ状況になったら、自分が魔法が効かないことも、何もかも忘れて、きっとお前を助ける」
 それじゃあ駄目だと理解していても、それでも無意識に、そうしてしまうのだろう。だから。
「それが嫌だって言うなら、危ない目に遭うな。強くなれ。…頼むから、死ぬな」
 好きな女に向かって、強くなれ、なんて、変だろう。でも守ってやる、とは言えなかった。きっと彼女はそれを嫌う。だから、守るのは、勝手にする。勝手に守る。
 それでもずっと守ってやるなんて、できないから。
 強くなれ。誰よりもとは言わない。今よりもっと強くなれ。
 俺も強くなる。今よりもっと。彼女よりもずっと。
 だから、今はただ。
「―――無事でよかった」
 離れたその距離を、埋めた。彼女のあたたかさを、目一杯感じる。
「し、心配したのは、あたしなんですよ…」
「うん」
「本当に心配して…!」
「ああ」
「……………エインはずるいです」
「なんだそれは」
 言いがかりだ、と反論すれば、そんなことないです、と返る。エインはずるいんです、ともう一度念を押すように言われた。
 エイン、と呼び掛けられる。
「…ごめんなさい」
 小さな謝罪の言葉に、ん、と返事をする。
「―――ありがとう」
 それよりもしっかりとした礼の言葉に、胸が震えた。
 よかった。
 …失わなくて、よかった。
「どちらかといえば、俺が礼を言わなくちゃいけないんだけどな」
「え?」
 腕の力が緩んだ隙に顔を上げたアーシャの表情が、きょとんとしたものになっている。それに苦笑する。
「お前がいなかったら、生きていたかどうか怪しいところだ」
 無論、そう簡単に死ぬつもりなどなかったが。そう付け加えた後に、アーシャがまだ不思議そうな顔で自分を見ていることに気付く。
 なにかが、違っている気がした。
「…お前が、俺を助けたんだ」
 呟けば、彼女はまだ合点がいかない様子だ。さすがにここまで言って気付かないのは、おかしい。
「―――憶えて、ないのか?」
 アーシャは小首を傾げた。
「何をですか?」

 ―――今はまだ、本当は、違うから。本当は違うけど、あたしは、あなたを、助けたい。だから、呼ばないで。

 違うから、忘れたのだろうか。
 “今のアーシャとは違う“から…?
 では、あの時のアーシャは、いったい“何”だったというのか。
「エイン…?」
 不安げな表情を浮かべるアーシャに対し、笑顔を取り繕う。
「憶えていないならいいんだ。気にするな」
 気にするなと言われても…、と今度は不満げな顔。確かにここまで含みを持たせておきながら話を急に打ち切るのは勝手なように思われた。それでも本人が憶えていないと言うのであれば、それは今、憶えていてはいけないことだったのだろう。
 それに、―――そうだ。彼女の“魔法”は、エインレールの傷を癒したのだ。
 これまでも、おそらくこれからも唯一であろう、存在。
 それが指し示すもの。それをエインレールは知っていた。昔、幼い頃に教えられたのだ。正確には、それを今、思い出したのだ。エインレール自身は、正直なところ、そんなものは夢物語だとさえ思っていた。事実、“それ”はありえないはずの存在であった。もし“それ”がアーシャだというのなら、彼女は…………。
「エイン様、お目覚めですか」
 唐突に聴こえた声に、ビシリと固まった。一拍おいてから、自分たちの体勢のことが思い当たる。二人とも、慌てて距離を取った。
「な、な、…アーフェスト、か」
 他の者でなくてよかった、と思うべきだろうか。どちらにせよ、見られて嬉しくはないのだが。
「何の用だ」
「王がお呼びです」
 前にも似たようなことがあったな、と思う。あの時は、―――そうだ。あの時は、彼女の監視を命じられたのだ。
「アーシャ様、よろしいですか?」
 続けられた言葉に、一瞬意味を掴み損ねる。アーフェストが呼びに来たのは、自分ではなくアーシャだということをかろうじて理解する。
「…わかりました」
「待て、どういうことだ」
 声を発したのは、同時。アーシャは呼ばれることについて、既に予期していたような顔をしている。
 二人の顔を見比べていると、アーフェストがいつもの穏やかな、けれどどこまでも影の薄い笑みを浮かべた。
「アーシャ様は、エイン様がお目覚めになるまではここを離れたくない、とのことでした。そのため、まだ襲撃があった日の詳細をおうかがいできていないのですよ」
 元々ある程度は把握しているのですが、とアーフェストは続けた。その“ある程度”があったからこそ、エインレールが目覚めるまでの猶予を与えられたのだろう。
 もしエインレールが“冷静”だったならば、まず真っ先に、それを考えただろう。
 しかし、この時ばかりはそれ以外の部分が気になって、思考が止まっていた。
 ―――自分が目覚めになるまで、傍を離れたくない。
 それが意味するところがどこなのか、測りかねる。期待を、してしまってもいいのだろうか、少しは。アーフェストの発言に、「別にそんな、だって怪我…目も覚まさないです、し!」と慌てた様子で弁解するアーシャと、ぱちりと目が合う。
「~~~っ、…い、いきます!」
 ぎくしゃくと動き始める彼女を、待て、と引き留める。
「俺も行く。…来るなとは言われていないんだろう?」
 アーフェストに対し、挑むようにそう言えば、彼はしかしいつもと変わらぬ個性を感じ取れない笑顔で、「ええ」と一言。
 それなら、と言い募ろうと開いた口は、「ただし」と更に続けられたアーフェストの言葉で遮られた。
「エイン様が“来る”と仰られた場合は、もう一日猶予を与えるようにと仰せつかっております」
 へ、と声を上げたのはアーシャだ。
「で、でも…急いでいるのですよね」
「先程申した通り、ある程度は把握しています。それは貴女もご存知でしょう、アーシャ様。貴女自身からことの顛末をおうかがいするのは、あくまでも最終確認の意味合いが強いのです。無論、大変重要なことではあります。しかし現状を見る限り、急(せ)いて訊くことでもありません」
 一切口を挟ませることなく伝えられた内容に、アーシャはぱちぱちと瞬きを繰り返す。その様子を一瞥してから、エインレールはアーフェストを見返した。いや、正しくは彼を通して、自分の父を見やったのだ。
「………らしくないな」
 小さな呟きには反応せず、アーフェストは、「それでは」と優雅に一礼すると、フッと闇に溶け込んでいった。
 逃げられたか。エインレールは苦笑する。ああ、本当に“らしくない”。今さら下手な気遣いをされたって、戸惑うだけだ。
 それでも、感謝はしている。
「なんだかんだで、…予定、伸びたな」
 なあ、と同意を得るようにアーシャを見れば、彼女は細い眉を寄せて、難しい顔をしている。こちらの言葉は届いていないらしい。
 口が小さく動いている。ぶつぶつと、声が聴こえてくるので、よくよく耳を傾ければ、「………なんで今訊かないの。急いで訊くことでしょう。そりゃあ確かに今は時期が悪くて相手も見送るかもしれないけれど、そんなのただの憶測であって、実際はもっと早くに攻め込んでくるかもしれなくて、そうしたら、ああ、でもそれも含めてあの人なら対策を練っていそうかも。いやいやだとしても………」そこまで聴いて、ハアと息を吐く。それにすら気付かないようだった。
 手の甲で、彼女の緋色の髪で覆われた頭を軽く叩く。びくり、と彼女の身体が震えた。そんなに怯えなくてもいいじゃないか、と思いながら、過剰な反応にフッと笑うと、彼女は子供っぽく頬を膨らませて怒りを顕(あらわ)にした。
「笑わないでくださいよ」
「わ、悪い悪い」
 ますますむくれた彼女の頭を撫でつけると、今度は振り払われた。どうやら今はダメな時らしい。最近は振り払われることが少なくなっていたので、少し寂しい気もした。そのあたりの感情は、やはりクリスティーに手を払われる寂しさと同種のような気がする。
 ―――そうだ、クリスティー。
 一気に血が下りた。青ざめたエインレールに、アーシャも気付いたらしく、大丈夫です、ときつく握りしめた手を、両手でそっと包み込んだ。
「クリスティー様は、無事ですよ。怪我も…軽傷です」
「軽傷?」
 軽かろうが重かろうが、怪我は怪我だ。あの野郎、と妹の姿をしていた侵入者を脳内で睨む。
「あー…彼らに付けられた傷ではないようです、一応。閉じ込められていた部屋――時計台の展望台に備えてある荷物スペースを、部屋と例えてもいいのか、判断しかねますが、とにかく、そこから抜け出そうとした時に、擦り傷やひっかき傷ができたそうです。エインの言うとおり、だからって、許されるものでもありませんけど」
 それは―――なんとも彼女らしい怪我の仕方だ。無茶をするな、と怒鳴りたくなるが、気付けなかった手前、相手を責められない。むしろ何故その時まで不穏な空気に気付けなかったのか、その事実に腹が立つ。
「食事は出されていたようで、疲れは見られますが、命に別状はありません」
 最初は警戒して口を付けなかったそうですが、とアーシャは続ける。期間が長かったので、致し方なく。
 一応、殺す気は無かったようだ。何のために、かは見当が付かない。真実を隠ぺいするつもりなら、いっそ殺してしまった方が、都合がいいだろう。最初から発覚することを前提に動いていた、ということか。いや、むしろ事態が発覚するように、動いていた? しかしそれになんのメリットがある。
 からかわれているような気がして、ならない。しかもひどく悪質な方法で。
「それと、侵入者二人には、どちらも逃げられました。姿見を真似ていた側には大怪我を追わせて、追いつめていたのですが、アーフェストさんが追っていたもう一人の仲間が乱入したため、捕えるまでは至らなかったようです」
「そうか、残念だな」
「ええ。…収穫も、あったようですけど」
「収穫?」
 訊ね返すと、アーシャは肩を竦めた。
「教えてもらっていません。後で、…事情を訊く時に、ついでに話すから、と」
「…そうか」
 何のことだろうか。侵入者のこと。目的。人数。能力。その他の情報。―――それとも、自分とアーシャのことか?
 エインレールは、アーシャの顔を見つめた。彼女がもし本当に“そう”なのだとしたら、あるいは自分は――――

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