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生きたいと想って。生きたいと願って。だから生きているのだと思えるこの場所で――
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 本当は、女を自室に連れ込むというのは、よくないのだろう。
 誰より困るのはアーシャだ。
 それでも自室をその場所に選んだことに、エインレールは自分自身不思議に感じていた。別に“それ”を渡すだけならば、決して自室である必要はなかったのだ。それでも何故か、彼女を通した先は自分の部屋だった。
「広さは別として、内装は、…意外と普通の部屋ですね」
「どういう意味だ」
 じとりと睨めば、わたわたと手を左右に振って「変な意味ではないですよ!」とアーシャは弁明した。
「ただあたしの今使っている部屋が、その、…レースがあしらわれたステキな造りだったものですから」
「…ああ、なるほど」
 そのレースは完全に一部の誰かの趣味か何かで、他の者はちゃんと自分で自分の部屋のレイアウトを決めている。そう教えてやろうかとも思ったが、いちいち言うことでもないか、と思い直した。
 それよりも、普段の彼女の調子が戻ってきた気配があったことが、嬉しかった。思わず緩む口元を抑えつけて、実は、と話を始めた。
「前にツベルの地に兵を送るよう、父に伝えると言っただろう。…一度ツベルの地に向かい、再度王都に戻ってきた時だ」
 それは、もう随分と前の話のように感ぜられた。
 彼女は少し思い悩んだ後、ああ、と合点した。
「あれ、本当に叶えてくださったんですか!」
 驚きと共に、その顔には心の底からの喜びが見えた。
 頷く自分の顔に、苦渋が滲んでいなかっただろうかと、壁に掛かっている鏡に目をやる。
 ツベルの地に最近魔獣が頻繁に現れるようになり、いつ被害が出てもおかしくない。そのため近隣住民の警護にあたるよう兵を送る、というのが名目上のものだということを、誰より自分がよく知っているのだから。
 もちろん、名目上のそれも、きちんとこなす。彼女が裏切らない限りは。
「ありがとうございます、エイン」
「……………」
 ―――先程。
 先程、思い悩む彼女の姿に、一瞬でも、本気で疑ってしまった自分が、感謝などされるべきではない。
 いっそここで全てを認めてしまえば。そんな考えがふっと過ぎる。認めて、話してしまえれば…。それを実行する機会を奪うために、エインレールは、すぐさま次の話題に移った。
「それで、そのついでにこいつを届けてもらった」
 こいつ、と言いながら、自分の机の上に置いてあった鳥かごを持ち上げる。中に入っていたソレが、突然の揺れに驚いてか、それとも止まり木の上でバランスを保とうとしたのか、羽を軽くばたつかせた。
「…エインが飼ってる鳥、ではなかったんですね、その子」
 てっきりそうだと思っていました、と言ってから、でもそうですよね机に無造作に放っておくのはちょっと扱いが酷いですよね飼っているならもう少し別の扱いがありそうですし、と続けた。
 酷かっただろうか、と鳥かごの中で可愛らしい真ん丸の瞳をぱちぱち動かしているソレを見る。もしこれを自分が飼うことにしたとしても、今と同じ扱いだろうと思った。ストレスは無さそうなので問題はないように見えるが、などと口にすれば目の前の彼女から非難を浴びせられそうな気がしたので、噤んだ。
「それで、その子を届けてもらった、というのは…?」
 やはりこれの存在は知らなかったようだ。
「こいつは、伝鳥の一種で、イオペガという」
 綺麗な鳥だ。体躯は艶(あで)やかな空色の羽で覆われており、頭から長い尾に掛けて、徐々に色が増していく。
 伝鳥――遠く離れた人の声を届けるために使役される鳥――の中でもなかなか優秀な種で、それゆえに高級だ。高速で空を駆け抜け、声も正確に届ける。申し訳程度には戦闘能力もあるので、少し突(つつ)かれた程度なら、自分で対処できる。
 そこまで説明すると、アーシャが、へえ、と驚きを多分に含ませた声を上げた。
「そんなものがいるんですか」
 初耳だ、と言うアーシャに苦笑する。さすがに安い伝鳥ならば、見たことくらいあるだろう。おそらく彼女が知らないだけだろうと思う。商人などがよく連れて歩いているから、国境近くのツベルの地ならば、尚更だ。
「でも、届けてもらったって…」
「一度行った場所でないと、憶えさせるのが難しいからな」
 無理というわけでもないが、なかなか骨が折れる。誤った場所に声を配送してしまう可能性も捨てきれない。だから初回だけは、届け先に連れていく。そういうことがほとんどだ。
「今はもう場所がわかっているから、ツベルの地とこちらを往復できるはずだ。そうだな…大体片道二時間半から三時間くらいか」
 汽車だと四時間半かかる程度の場所なので、人が直接行くよりも早く届けられる。ただし距離が伸びると、体力面から、所用時間はそれほど変わらなくなる場合もあるが、自分が動かずに声を届けらえるという点で非常に重宝される。
「それと、俺たちの“匂い”も今憶えただろうから、届ける相手を指定して飛ばすこともできる」
 へえ、とアーシャがもう一度声を上げた。その目がどことなく輝いている。鳥かごの中にいるイオペガと視線の高さを合わせるように身体を曲げ、にこりと笑いかけた。
「頭がいいんだあ」
 ぴぴ、と応えるようにイオペガが鳴いた。
 それを聴いたアーシャが、不意に、どことなく空虚な面持ちで、呟いた。
「…ツベルの地、か」
 手を檻にそうっと滑らせ、目を伏せる。つい先程まで思い悩んでいた時と同じ表情だ。
 しかしすぐに気を取り直したように、にこりと笑った。
「この子に頼めば、みんなに言葉を伝えられるんですよね。あたしもこの子に何か頼んでいいですか」
「ああ。ただその前に、そいつが運んできた声を聴いてやってくれないか」
 その言葉に反応するように、イオペガが誇らしげに胸を張ったのは気のせいか。
 声ですか、と不思議そうな顔をしたアーシャに、そうだ、と頷く。
「“69351-02”」
 ぱたり、と長い尾が動いた。
『ぴ、ぴ。認証しました。声を再生します』
 アーシャは突然流暢に喋り始めたイオペガに驚きを隠せない様子で、他に誰かが喋っているのではないかと疑ってか、辺りを見回している。もちろん誰もいない。
『あー、あー。うおーい、聴こえてるかあ?…え、これまじで届くのか?』
 懐かしい声に反応してか、アーシャがばっとイオペガの方を見た。
「これ、リュカの声だ…」
 愕然とした面持ちで、よたよたとイオペガに近付くと、その前でぺたんと座り込む。椅子を用意しようかと思ったが、一言も聞き漏らすまいとしている彼女に、わざわざ音を立てて椅子を持ってくることがいいとは思えず、エインレールはただ、その光景を眺めていた。
『伝鳥に声を預けてるっていう認識があっても…リュカがやると、ただ鳥に向かって話しかけてる馬鹿に映るわね。何故かしら』
『アーシャーーーっ! 元気かあーーーっ?』
『リュカ叫ぶなうるっせえぞ!』
『ね、あたし、あたし! あたしアーシャとはなしたいー。これアーシャにとどくんだよね』
『おてがみみたいに?』
『そうそう、お手紙みたいに』
 なにやら、がいがいがやがやと騒がしい。一匹の青い鳥の前に、ツベルの地の住人が大集合する様を想像し、エインレールはふっと口元を緩めた。きっとそこには、温かい空気が流れているのだろう。一度行ったきりの自分でさえ、それが容易に想像できるほど、あの場所に空気は穏やかだった。
『ん? お、シャルじゃないか。なんだお前も何かアーシャに―――うおぉっと!? なんで押…っ、うぉわあぁぁ!?』
『アーシャ。報告。大木は今のところ、これといった変化は無い。以上』
『あ、シャル。待ってください。―――アーシャ、元気にやっていますか。魔獣のことですが、今のところ彼女の他に被害者は出ていません。王宮から来た方々がいるので、リュカたちも休息が取れるようになりました。だから、こちらのことは気にせず貴女の思うとおりにしてください。それではまた』
『くぉらお前らーっ! 年長者を敬え! せめて突き飛ばしたことを謝れっ!』
 他の者と比べると長々と喋っているルークレットの声は、最後に近付くに連れて焦りで早口になっている。大方、シャルリアがさっさと行ってしまったのだろう。
 その後も入れ代わり立ち代わり、様々な人物がアーシャに言葉を掛けていく。かなり長い。これを憶えられたこのイオペガはなかなか優秀だ。本人が胸を張っていたのも頷ける。
『アーシャ』
 その声には、エインレールも聞き覚えがあった。アーシャの母、ルルアのものだ。どうやら殿(しんがり)は彼女であるらしい。
『そっちはどう? お城で住めるなんて、本当に光栄ね! それも同じ敷地内に、国王様がいらっしゃるなんて…! ああ、羨ましいわ…母さんもあと二十年遅く生まれてたらねえ。…とにかく、お城の方にご迷惑を掛けないようにね! 貴女ってたまにとんでもないことしでかすから、母さん心配だわぁ』
 はあ、とわざとらしいため息。見れば、アーシャががっくり項垂れている。
 しーん、と静まる部屋。今の言葉で終わり、なのだろうか。妙に変な切れ方だな、と首を傾げていると、唐突にまた声が聴こえ始めた。
『ねえ、アーシャ』
 それまでとは打って変わって、真剣な色を含んだ声だった。
『…怪我をしないようにね。無茶はしちゃ、だめよ。貴女本当に、母さんの心臓が止まるんじゃないかっていう無茶をするんだもの。―――お願いだから、気をつけて、ちゃんと無事に、帰ってきてちょうだいね』
 届けられた声は、それが最後だった。
 しばらくして、ぴぴっ、とイオペガが鳴いた。
『再生の内容は、以上です』
 エインレールは、何も言わなかった。何も言えなかった。何を言うべきかわからなかった、という方がより正確だ。
 鳥の前でへたりと座り込む彼女の肩は、それを聴く前よりも落ちているような気がする。
「―――いい人だな」
 なんとか搾り出した言葉は、けれど、間違ってはいないような気がした。
「ええ、いい人です」
 アーシャは振り向くことなく、答えた。声はどこか震えている。それが何のためか、エインレールにはわからなかった。とてもいい人です、と彼女は繰り返す。
「そんな人の娘に生まれたあたしは、幸せ者です」
「ああ、そうだな。俺もそう思う」
「だから…」
 彼女の言葉は、そこでぷつりと切れた。一瞬の間を空けてから、彼女はすくっと立ち上がり、振り向いた。長い緋色の髪が、ふわりと舞う。
「ありがとうございます、エイン」
 全く同じ言葉を、アーシャは先程言った。それはエインレールも憶えている。それはエインレールの決意を掻き乱す言葉だったから。彼女は憶えているだろうか、自分が先程同じ台詞を言ったことを。どうだろう。でも憶えているはずだ。自分とは全く違う理由だろうが。
 けれど、彼女は告げた礼の言葉は、…そこに込めた感謝の気持ちは、きっと忘れないだろうと思った。
 ただ、同じ言葉でも、その声に込められているものが、違う気がした。
 感謝の気持ちの大小、ではない。そうではない、何かが。
「それから、国王様に…」
 茜色の、澄んだ瞳に、見覚えがあった。
 澄んだ瞳の奥にある光を、見たことがあると思った。
 どこでだろうか。わからない。思い出せない。けれど確かにエインレールはそれを知っていた。それほどその瞳の色は強烈だったのだろう。それ以外の全てを――どこの誰がその瞳をし、何かを見つめていたのかさえも忘れさせるほど、その光は。
「陛下に、お心遣いに感謝いたしますとお伝えください」
 それは、ひたすら悩み抜いた人間のする瞳だった。
 悩んで悩んで、自分のとても大事なものを選び、決意を固めた人間のする強い瞳だった。


 何故彼女がそんな瞳をしているのか、エインレールには知る術(すべ)などなかった。

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