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生きたいと想って。生きたいと願って。だから生きているのだと思えるこの場所で――
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「今日は惜しかったです」
 あとちょっとだったのに、とアーシャは負け惜しみの言葉を、当人の目の前で吐き出した。その当人――つまりエインレールの顔には、苦笑が浮かんでいる。
 こうして部屋まで送ってもらう生活も、だんだんと普通になりつつある。それがいいことなのか、それともそうでないのか…。ふと自分の本来の居場所を思い出し、なんとはなしに考える。この“普通”は、たとえそうなったとして、すぐに壊れるとわかっているものである。それに慣れてしまうことが、果たしていいことなのか。
(………やめた)
 早々に考えることを放棄した。所詮、意味のないことだ。今それを考えたところで、何が変わるというのか。どう転がるのかなんて、今の時点でわかったものではないのだから、素直に楽しんでおけばいい。
「明日こそ…明日こそ勝ちますからね!」
「さて。俺もそんなに簡単に負けてやるつもりはないが?」
「上等です。負けてやるつもりで勝負されても、嬉しくないですから」
 ふいっ、と顔を背け、不意にまた、本来ならばこんなことを一国の王子とできる立場ではないのだ、という考えが頭を過(よ)ぎる。これはどうしたことか。
 まだまだ、だ。まだやるべきことはある。ユリティアを狙う敵が何者であるかすら、定かではないのだ。何一つ、わかっていない。クレイスラティならば何か掴んでいるかもしれないが、あの王のことだ、必ずしもその情報がこちらに流れ込んでくるとは限らない。
 それならそれでいい。一番怖いのは、誰の元にも情報が一切ない、という状況だ。
 あえて難しい方向に思考を誘導して、どこか緩んでいる気を引き締めた。そうでもしなければ、何か自分にとって“よくない考え”に至るのではないかという恐怖心に駆られたためだ。
 ぴたり、と足を止めたアーシャに気付いたエインレールが、肩越しに振り返り、どうした、と声を掛ける。
 その端整な顔を眺め、しかし耐え切れなくなって地面にすうっと視線の先を移動させる。何を言うとも決めぬまま、無意識に口が開いた。
「あたし、」
 そこまで言って、―――そこまでしか言えずに、言葉に詰まった。何を言おうとしていたのだったか。わからずに、口元に手を当てる。ちろりと前方に目を向けると、いつの間にかアーシャの方に完全に向き直ったエインレールが、妙に真剣な眼差しを自分に向けていることに気付き、知らず、動揺した。
 彼が、微かに、しかし深く息を吸った。その唇が開いていく様を、アーシャはただ見ていた。
 そこからいったい、何が紡がれるのか。それを待っている自分の気持ちさえ持て余しながら、けれど聞き逃してなるものかと神経を尖らせたアーシャと、目の前の彼との間を、確かな緊張感が支配した頃、
「げっ、エイン兄様!」
 それを全てぶち壊す悲鳴が、廊下に響き渡った。
 びくっ、とアーシャは身体を大きく震わせた。
「………クリスティー、か?」
 エインレールの肩が、心なしか落ちている。数度頭を振ると、気を取り直したように、眉間に皺を寄せながら自分たちの方に向かってくる妹姫を見据えた。
「お前、なんでこんな時間に………まさか」
「あら嫌だわお兄様。わたくしがそんな部屋を無断で抜け出すなんてことするわけないじゃありませんか」
「抜け出したんだな。また」
 クリスティーは、何も聞こえなかったふりをして、あらアーシャさんごきげんよう、と朗らかに声を掛けた。
「え、あ、…ご、ごきげんよう?」
 まさか「こんばんはー」と返すわけにもいかず、けれど別の言葉が浮かばなかったアーシャは、結局クリスティーの言った言葉―――どう頑張っても言い慣れない言葉を、そのまま復唱して返した。
「今度はいったいどういう理由だ」
「だから、抜け出してなんかないわ」
 彼女はあくまでそれを突き通すつもりらしい。
「アーシャさんからもこの堅物兄様に何か言ってやってちょうだいよ」
「え」
 つい先日にも彼女が部屋から抜け出した現場に遭遇したアーシャとしては、正直、彼女が抜け出していないと信じることの方が至難の業である。ただそれはあの時「他言無用」と言った手前、エインレールがいるこの場で口にすることは憚られた。それとも忠告を無視して再度抜け出したのは彼女なのだから、言ってしまってもいいのだろうか。
 どうも判断がつけられないのは、おそらくアーシャが彼女の立場だった場合、同じように抜け出すだろうと想像してのことだった。
 表情からそれを読み取ったらしいクリスティーは、彼女がまだ何も口に出していないことをいいことに、
「ほら、アーシャさんもエイン兄様の堅物っぷりに辟易しているそうよ」
「言ってないだろそんなこと!」
 遅れてクリスティーの発言の意味を理解したアーシャが、慌ててぶんぶんと首を縦に振る。
「でも、しっかり肯定してくれているわ」
「それは俺の発言に対して、だろう?」
 二人から一斉に鋭い視線を向けられ、アーシャは思わず悲鳴を上げそうになった口をぱっと押さえた。確かに、否定の意味を込めた――エインレールの発言に肯定するための首肯だったのだが、どうも言い出しにくい雰囲気になってしまった。
 参ったな、と眉尻を下げ、―――いつかの違和感を嗅ぎ取った。
 なんだろう。
 すう、と自身の喉に指を添えた。
「アーシャ?」
 表情の変化を敏感に受け取ったエインレールが、訝しげに声を上げる。彼は何も気付いていないのか。
「どうかなさったの?」
 クリスティーの声は、アーシャの変化に気付いた上でのものではなく、変化に気付いたエインレールに対してのものだった。エインレールはしばし逡巡した後、
「クリスティー、今回のことは見逃してやるから、さっさと、」
「夜分に失礼いたします」
 エインレールの声を遮ったのは、たしかに先程まではこの場にいなかったはずの人物だった。
 三人ともが、ぎょっと目を見開く。
「アーフェスト、お前、どうしてここに…。というか、まず、頼むから急に現れてくれるな」
 さすがに驚く、と眉を寄せたエインレールの言葉に対しても、アーフェストの表情は崩れない。いつもどおりの薄さだ。
「申し訳ありません。ただ、私は急に現れない方法というものを存じ上げませんので、そのご要望にはお応えしかねます」
 口にする言葉も、どこまでも彼らしい。そうか、と諦めたようにエインレールが肩を竦めた。
「それで、用件はなんだ?」
 アーフェストは基本的に、表に出ない。その彼がこうして姿を現したのだ。何もないはずがない。
「我が王がエインレール様をお呼びです」
「…俺を?」
 途端に、エインレールの表情が強張った。しかしすぐに弛緩し、“普段どおりの硬い表情”に戻った。
「こいつらを部屋まで送り届けてからでも、問題はないか?」
「いえ、申し訳ありませんが、至急とのことでしたので」
 何か問題でも起こったのだろうか。アーシャは静かに視線を床に落とす。もし問題だとしたならば、大事かもしれない。なにしろ、王族という観点からすると未だに“部外者”であるアーシャの前で、至急、などと口にしているのだ。
 決定的な問題でないといい、と思う。それならば、いつものくだらない、けれど厄介な徴集であった方が、まだマシだ。
 しかし――できれば後者の可能性は否定したくはないが――それをこんな時間にするだろうか。曲がりなりにも、一国の王が。
(……………や、でも)
 ………するかもしれないことを、否定できなかった。これは喜ぶべきか悲しむべきか。
 それでも、そうではない保証など、どこにもないのだ。ふう、と誰にも気付かれぬように息を吐き出したアーシャは、
「どうぞ行ってきてください、エイン。クリスティー様は、」
「様付けじゃなくてもいいのに」
 “じゃなくてもいい”という言葉を選択したにしては、そうされたことが極めて不服であるような表情だ。
「――…クリスティーさんは、あたしが部屋まで送りますので」
 言い直したアーシャに、クリスティーはうんうんと満足気に頷いた。
「それだと、お前はいったいどうするんだ」
「あたしは一人でも大丈夫ですよ」
 腰に手を当て、胸を張る。たとえ何者かに襲撃されたとしても、自分ひとりで、確実に勝てるとは言わずとも、いくらか持ちこたえて命を落とさずにいることはできるだろう。しかしエインレールは、そうではない、というように呆れ交じりに首を振った。
「“大丈夫”? この前迷ってたのに、か?」
「うっ…」
 そこを突かれるとイタイ、という自覚はあった。
「それなら私がアーシャさんを送っていくわよ」
「意味が無いだろうそれじゃ!」
 エインレールががなると、む、とクリスティーが眉を寄せた。
「言っておきますけど、エイン兄様、私は一人でも大丈夫なのよ?」
「あたしも大丈夫ですよ。…道も、一度通った道なら大丈夫ですし、そうでないなら先に教えておいていただいたら、たぶん」
 便乗して名乗り出てみたが、エインレールの白い目に、肩を竦めた。どうやらその点について、自分は全く信頼がないようだ。
「それなら、こういうのはいかがでしょう?」
 アーフェストが薄い笑顔を浮かべたまま、人差し指を一本、立てた。
「まずクリスティー様とアーシャ様で、アーシャ様のお部屋に向かいます」
 次に、と言いながら中指も立てた。
「そこからクリスティー様の部屋に向かいます」
 更に指を増やす。
「最後に、クリスティー様を送ったアーシャ様が、お部屋に戻ります」
 合計で三本の指を立てたアーフェストは、別段妙案を述べたと思っているわけでもないのか、表情は変わらない。
 つまりは、先にアーシャとクリスティーの部屋の道を憶えておけば、そこから問題なく帰れるだろう、と言いたいようだ。
 アーシャは「それなら道順の問題は解決しますね」とにこにこ笑い、クリスティーは「アーシャさんの二度手間じゃない」とどことなく申し訳なさそうな顔をした。
 エインレールだけが、渋い顔のままだ。
「一人で夜出歩くのは危険だろ」
「安心してください、あたし別に悪さはしませんよ!」
「…………」
 彼の顔が強張った。おや、とアーシャは目を瞬(しばた)く。
 エインレールは、眉間に微かに皺を作り、口の端を無理やり上げた、なんとも形容しがたい“笑顔”を浮かべた。
「…知ってる」
 小声で呟かれた言葉に、はっと息を詰まらせる。全く違う表情だというのに、何故かそれがクリスティーに会う直前に彼が見せた真面目なそれと重なった。
「エインレール様、申し訳ありませんが、…至急、です」
「―――ああ」
 わかった、と返事をしながらも、エインレールの顔は、「嫌だ」という一色に染め上げられている。
「エイン兄様…心配だったら、今の、私とアーシャさんの立場を変えてもいいわよ…? 私なら、自室に寄らなくても道に迷わないもの」
「いや」
 エインレールは首を横に振った。
「お前を一人にする方が、危険、だ。そのまま部屋に直行する保証がどこにもない」
「なによそれ、ひどい! 人がせーっかく気を遣ったのにー!」
 失礼しちゃうわ、とクリスティーは腕を組んだ。まあまあ、とアーシャがそれを宥めてから、エインレールとアーフェストに向き直った。
「それじゃ、失礼しますね。安心してください、しっかり部屋まで送りますから」
「…ああ、頼んだ」
「よろしくお願いします」
 二人に見送られながら、アーシャはクリスティーと並んで歩き始めた。無意識に、手が喉に伸びる。隣からは、それを指摘する声は上がらなかった。

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