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生きたいと想って。生きたいと願って。だから生きているのだと思えるこの場所で――
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 廊下の角を曲がり、その姿が見えなくなってから、アーフェストに訊ねる。
「父はどこで待ってるんだ? 謁見の間か、それとも自室か」
 すぐだろうと思っていた返答は、予想に反して、僅かに時間を空けたものとなった。
「…………」
「アーフェスト、どうした?」
「…申し訳ありません。自室の方でお待ちです」
「…そうか」
 それに不信感を抱かぬわけでもなかったが、足をクレイスラティの自室の方に向ける。
「エイン様」
 久し振りに、彼に愛称で呼ばれた気がする。様という敬称つきではあるが。ん、と続きを促す。横目で盗み見たアーフェストの雰囲気は、いつもと変わらないように感じられた。
「…エイン様は、彼女を好いておりますか?」
「なっ、…なにを」
 言ってるんだ、まで続かなかったのは、あまりに動揺していたからだ。よりにもよって、まさかこの男がそれを自分に問うてくるとは微塵も想像していなかった。
 “彼女”とは誰のことを指すのかも、“好く”の意味合いがどの程度のものなのかも、彼は述べていないと気付いた時には後の祭りだ。
 頼むからこれがあの阿呆な父王の命令でなければいいが、と考えた。こんなこと報告されたら、その後に腹の立つ揶揄を受けるのは必至だ。
「好いているならば、…どうぞ、自分の意志で道をお選びください」
 どう答えたものか、と頭を悩ませるエインレールに、アーフェストが「失礼いたしました」とその場で頭を下げた。
「出過ぎたことを申しました。お忘れください」
「忘れろって…アーフェスト?」
 アーフェストの顔を訝しげな視線が往復したが、彼がそれを気に掛ける素振りは全くない。表情も、いたっていつもどおりだ。だというのにどこかいつもと様子が違う気がして、エインレールは懲りずにその顔を窺った。
 独断だったのだろうか。
 後に、エインレールが、この時のことを思い出す時、ついそれを考えた。独断、だったように見受けられたのだ。
 もしそれが正しい見解だったのだとしたら、後にも先にも、彼が完全なる独断で動いたところを見たのは、それが初めてだったように思う。彼はいつだって、自分の主の駒であり続けることを望んでいたのだから。
 その真意は、どうだったのであろうか。しかしたとえその時に気付いていたとしても、エインレールは深くは訊けなかっただろう。アーフェストにそれを問うことは、あまりに酷だ。
 ともかく、少なくともエインレールはその時、ただ、道、という言葉に、心をざわつかせていただけだった。
 信じているから、疑う。迷い、惑うだろうと思いながら進んでいるこの道は、自分の意志で選んだはずであったが、本当に確かなものなのだろうか、と。
 迷うだろうことを覚悟しているのに、それでも迷うことで道すら疑ってしまう自分の弱さは、果たして必要なものなのか、そうでないのか。
「…とてつもない難題を吹っ掛けられた気分だ。一応“ありがたい助言”として受け取っておくが」
 いつかこれが解けるというのか。
 その未来が全く想像できなかったエインレールは、天井を仰いだ。
 アーフェストは無言だった。彼がどういう表情をしていたのかすら、上を向いていたエインレールにはわからなかった。
 ―――呼び出された先で告げられた内容は、尚更強くエインレールに、考えることを要求した。



 その次の日のことだ。
 アーシャの様子は、やけにおかしかった。
 思い詰めた顔を見た時、あれ、と感じた。昨日は、ようやく希望の光が見えてきた、想像していたよりもなかなか幸先がいい、関係者一同がそう感じて終わったのだ。もちろんその一同の中には、エインレールも、アーシャだって含まれている。
 だというのに、やけに深刻そうだ。たった一日で、彼女に何があったというのか。あそこまで重々しい空気を背負うほどの“何か”など、そうそう起こるものではない気がした。なにしろ、王に喧嘩を売った次の瞬間ですら、彼女の瞳にはさほどの後悔も見受けられなかったのだ。
 呼び掛けにも、鈍い。何度か呼んで、ようやくハッと我に返り「どうかしましたか?」と顔を上げる。笑みらしきものは浮かべているが、それはどこか歪で、取り繕うとして失敗した類(たぐい)のものだ。
 最初こそ心配だけの眼差しで見つめていたのだが、
 ―――キインッ
 本日、もう何度目の“それ”だろうか。
 アーシャの手を離れ、くるくると回りながら跳んでいった剣が、地に突き刺さったところを確認してから、目の前の彼女を見据えた。
「お前、いい加減にしろ…」
 彼女は、エインレールの低い声に、びくり、と身体を震わせた。それは声とは違う、別のものに怯えているように見え、戸惑ったが、言うべきことは言わなくてはと更に言い募った。
「お前が今やってることは自殺行為だぞ。集中せずに剣を振るうことがどれほど危険か、そんなこともわからないほど馬鹿じゃないだろうが。意識が別のところにあって集中できないのなら、それくらい申告しろ。その判断すらできないのなら、もう剣は握るな」
 だんだんと俯いていたアーシャが、力強く顔を上げた。口はぐっと引き締まり、目にはいつもの強い光がある。
 ただそれは、エインレールの目には、どこか霞んでいるようにも見えた。
「すみません、ご迷惑を――」
「迷惑、じゃない。迷惑だったから怒ったわけじゃ、ない」
「………すみません」
 顔を歪めたアーシャは、けれど今度は目を逸らしはしなかった。
「…大丈夫です。ちゃんと、集中します。集中、できますから」
 言い終えてから、目をぎゅっと瞑り、何かを振り払うように頭を左右に振る彼女は、やはり大丈夫ではないように見えた。
 よろしくお願いします。凛と声が響いた。いつもどおりの澄んだ声が、今は心苦しかった。
 その後、剣を弾かれることはなくなったが、やはり彼女の動きはどこかぎこちなかった。強い突きをした直後に剣先がぶれたり、いつもよりずっと粗い太刀だったり、素早く繊細で、狙いが的確であるという彼女の良さが、封じ込められてしまっている。
 集中はしている。こちらの動きにも合わせて動けてはいる。けれどそれは、自分へと流れ込んでくる何かを必死に振り払うためだけの防御策に見受けられた。
 どうしたと、いうのか。
 昨日あのままわかれなければ、彼女に何があったのかを、少しは知ることができただろうか。それを悔やみ、そこで自分の剣筋もおかしく歪んでいることに気付いた。
 これは、駄目だ。
 いつもよりずっと容易に彼女に勝った後で、「今日はこれで止めにしよう」と伝えた。
 アーシャは目を見開いて、なんで、とそこまで口にしたが、その後は続けなかった。おそらく自分でもわかっていたことなのだろう。彼女は決して、愚者ではない。…そう、エインレールは信じている。
「それにな、今日は、…そうだ、今日は、お前に渡したいものがあったんだ」
 すっかり忘れていた、と続ける。これは本当だ。思い悩む彼女の姿に、すっかり忘れていた。本当に。
「渡したいもの、ですか?」
 きょとりとした顔のアーシャに、笑い掛ける。
「そう、渡したいもの」
 きっと彼女は喜ぶだろうと思った。その彼女を見て、自分はきっと、心中複雑でいるしかないのだろうとも、思った。
 それが自分への罰だ。

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