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生きたいと想って。生きたいと願って。だから生きているのだと思えるこの場所で――
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 声が、聴こえる。
 優しい、優しい、声。
 優しく、優しく、語ってくれるお話。
 ああ、自分はこれがとても好きだった。なにより大好きだった。
 けれどおんなじくらい、とても、とても、本当は、寂しかったのだ。
 だって、それは、


「ゆっくりおやすみなさい、わたくしたちの可愛い子」

 ―――ぱちり、と目を覚ます。
 夢を、視ていた気がした。とても大切で、懐かしい夢を。
 だけれど、今は何も思い出せない。視ていたはずのものは、手を、指をすり抜けて、零れ落ちていく。
 薄れていってしまう。とてもとても、大切なのに。


 やがて、夢を視ていたこと自体を、忘れた。


 ピキン―――



「おはよう、ユリティア」
 通された部屋の中で、いつものようにふうわりとした笑顔を浮かべながら可愛らしい椅子に腰掛ける、可愛らしい彼女に、挨拶をした。
「おはようございます、アーシャさん」
 たまに「これって立場と態度が逆だよね」とふと思い出し、疑問が頭をもたげることがあるが、最近ではその感覚にも慣れつつある。たぶん彼女は、彼女と彼女の周りが思う以上に、わがままなのだと思う。それが悪いと言っているわけでは決して無い。
 純粋なのだ。自分の欲求にも。強く強く、どこまでも強く、願う。それが穏やか過ぎて、気付かないだけで。
 これに棘を加えたら、彼女の父のような人ができあがるのだろう、となんとはなしに考えた。考えてすぐに、なんて失礼なことを考えたのだろうか、と後悔したけれど。
 隣に立つソフィーネにも挨拶をしようとして、既に定番となりつつあるキントゥとの怒鳴りあい――とはいえ怒鳴っているのは片方だけだが――を始めていたので、軽く会釈をするに留まった。
 たぶん気付かないだろう、と思っていたがしかし、彼女との掛け合いに集中しているはずのソフィーネから、くす、と妖艶な笑みが返された。…彼女はいつだって余裕があるようだ。
 いつものように講義をしつつ、雑談を交える。
「最近、どう?」
「最近、ですか…? えーと、そうですね…あ! お庭に綺麗なお花が咲いたとかで。香りも本当に優しくて素敵なんです。庭師の方がお持ちしましょうかと声を掛けてくださったんですが、せっかく綺麗に咲いているのに、切ってしまうのは可哀相で…ああでも、一本頂いておけば、アーシャさんにもお見せすることができましたのに」
 しょんぼりと肩を落とすユリティアに、また後で見に行ってみるね、と声を掛けて慰める。
 ―――本当は、訊きたいことはそれではなかったのだけれど。
 刻一刻と、彼女が隣国のリティアスに嫁ぐ日は迫ってきている。彼女自身がそれを、いったいそれをどう思っているのか。あまりよく知らぬ相手の下に嫁ぐ心境なんて、アーシャには想像できない。しかも、そもそも嫁ぐこと自体に、危険が伴うなんて。
 たぶん結婚相手がとても嫌な相手で、ユリティアに酷いことをするような人だったら、ソフィーネがその時起こっている問題とかそういうのを全部無視して、人知れず排除してしまうのだろうなということは、想像が付くけれど。
 是非とも加勢したいところだったが、自分はおそらくその時、彼女の傍にはいられないだろうと思う。
 そもそも、今この場にいるというのが、本来ならば考えもつかないことなのだから。
 たぶん、彼女が“無事に嫁いだ時”が、全てが終わる頃、だと思う。終わっていなかったとしても、その時に彼女の夫のことまで、考えている余裕があるかどうか。どちらにせよ、その余裕が持てた時には、アーシャはきっと自分にとって当たり前の生活――ツベルの地での生活に戻っているはずである。
 ここまで深く関わってしまった自分に、クレイスラティがどこまで自由を与えてくれるのかは、わからないけれど。
 アーシャの立場は結局、彼女の身代わりとしての出席ではなく、護衛・付き人として彼女に従う身になるらしい。確かにこの容姿の代わりは、できそうもない。髪の色が違うとか、目の色が違うとか、そういう問題ではない。
 何故かエインレールの婚約者としてという話も巡っているが、そちらについては、本当に謎だ。
 王も冗談が過ぎる。まったく、と息を吐いて、
「どうかしましたか、アーシャさん?」
 長い睫に縁取られた透き通るような瞳が自分の顔の至近距離にあることに、気付いた。
 わっ、と悲鳴を上げて。身体のけぞらせた。ユリティアは目をぱちくりさせている。
「な、なんでもない、よ」
 ばくばくと波打つ胸の上に手を置いて、引き攣った笑みを見せる。普通の人ならば「なんでもないってことはないだろう」と思うその表情も、彼女にとっては、そうではなかったらしい。
 素直に、そうですかそれはよかったです、と平和そうににこにこと笑って、退いた。
「そういえば、今日は早く切り上げてマティアのところへ行くのですよね」
「うん」
 アーシャはしっかり頷いた。
 どうやら再度試作品の確認があるようだ。初回のアレ以来、自分から希望して何度も途中経過の作品たちを見て、その効果を自分の身を持って体験していたが―――今度のはどうやら、完成品に近いものらしい。それが嘘でないことは、自分の身がよく知っている。
 最初から大量に流れ込む形ではなく、一部一部を徐々に送り込む形となって、量も全体的に減らした。細かい部分、あまり使わないものなどはその時その時にどうにかする、ということになったためだ。
 それならば、アーシャ自身でもなんとかなる。というのも、エインレールとの実戦から、戦闘の合間にちょこちょこと魔方陣を作り上げていたので、徐々にコツを掴みつつあったのだ。あとは魔力を注ぎ込むタイミング。その時に果たして、意識がこちらで保ったままにできるかどうか。
「楽しみですね~」
 ユリティアが、ふわり、と本当に嬉しそうに笑う。この笑顔を失いたくないなあ、と思う。
 ここでユリティアと一緒になるという話が上がった時、きっとこれは情を持たせるための作戦だろう、と疑った。今はあながちそれも間違えではなかったのではないだろうか、と思い始めている。きっと、そうだ。だけれど、アーシャはそれに怒りを覚える機会を失っていた。この時点で既に、それならそれでいいか、と思えるようになっていた。見事に策略に嵌ったみたいだ。
「なら、もうそろそろ行った方がよろしいですわよ」
 いつの間にかユリティアの後ろへと移動していたソフィーネが、静かに華やかな声を上げる。
 言われて、確かにもうそろそろ行った方がよさそうな時間だ、と思い立ち上がる。端の方でえぐえぐ泣いているキントゥを呼び寄せ、部屋を後にする。
「それではアーシャ様、お気をつけて。どうぞまたおいでくださいませ。キントゥもね、待ってるわよ」
「だ、だ、だだ誰が! 二度と、…二度と来ませんからああああ!」
 何があったのかはよくわからないが、とりあえずこっぴどくやっつけられたらしいことは、よくわかった。
「アーシャ様は明日もいらっしゃるのよ? 職務放棄でもするつもり?」
「そそそそそそんな恐れ多いこと、いたしませんっ」
 なら明日も来るのね、と笑うソフィーネは、完全にキントゥで遊んでいるようだった。さてどうやって助け舟を出したものかと悩んでいると、アーシャ様、とソフィーネに話し掛けられる。
「お心遣い、感謝いたしますわ」
 初めピンと来なかったが、少し経って、それがユリティアのことだと察した。あれだけ姫様姫様と騒いでいるだけあって、その周囲のこともよく見ている。
「なんの力にもなれなかったみたいだけどね」
「あら、それは当たり前だわ。だって姫様だもの」
 くすくすと笑うソフィーネを見て、それもそうか、と妙に納得した。
 それからこのタイミングを逃さず、半泣きのキントゥを連れて退散した。

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