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生きたいと想って。生きたいと願って。だから生きているのだと思えるこの場所で――
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「そこまで!」
 マティアの止めの合図が入ったのは、アーシャの魔力がちょうど底を突こうという時であった。いつもならば今よりももっと早めに切り上げるのだが、今日はおそらくアーシャの気持ちを汲んでくれたのだろう。あるいはそうでもしなければ、彼女が止めないと思ったのか。
 ふう、と額に浮かんだ汗を拭って、アーシャは集中を解いた。一気に肩から力が抜ける。
「お疲れ様」
 すかさず声を掛けたエインレールに対して、きょとりと目を瞬かせる。
「あれ、エイン、まだいたんですか?」
「お前な…」
 あんまりな言い草に、眉を寄せるが、その先は結局口にせずに、「部屋まで送る」と申し出た。
 アーシャが何か返す前に、エインレールが強い口調で更に続けた。
「いつもってわけにはいかないけど、最後まで付き合える日は、送っていく」
 キントゥにはもう伝えてある、と言う彼に、キントゥよりも先に自分に言ってくれればよかったのに、と思わないでもないが。
 確かに、ずっと彼女を待たせるということに抵抗を覚えていたのも事実である。かといってエインレールの手を煩わせるというのも、やはり気が引けることではある。
 一人でももう大丈夫なんだけどな、とここから自室として与えられた部屋までの通路を頭の中で辿りながら、思う。ただまあ、部外者をそう易々と一人で彷徨わせる、などというのは論外なのだろう。そこらへんのことも、弁(わきま)えているつもりだ。
「少なくとも、今日はもうキントゥは来ないことは確実だから、大人しく従っとけ」
 しっし、とまるで犬を追い払うかのような動作で、おまけにとんでもなく面倒くさそうな顔をしているマティアに、なんだかなあ、と思いつつも、それじゃあ、とエインレールに向き直る。
「お願い、します」
「ん」
 ―――少しばかり照れくさいのは、何故だろう。
 うーん、と真面目に悩み始めているアーシャと、その隣で「ユリティアは毎日会えるんだもんな…」などとぶつくさ言っているエインレールの後ろ姿を見送っていたマティアが、
「…なるほど。青春、な。結構典型的な」
 少しの苦笑を含みながら呟いたことなど、知りえるはずもなく―――。



 なんだろう、この空気は。
 アーシャは“よくわからないこと”についての疑問の解答を出すことを諦め、今は自分と彼との間に流れる妙な沈黙について、どうしたものかと内心頭を抱えていた。
 ちろりと彼を窺えば、ちょうどあちらもアーシャの方を見ていたところだったらしく、ばっちり目が合う。えっと、と無意味に沈黙を破る言葉が口を突いたが、当然のように続きが出てこない。
「頑張って、るんだな」
 どことなくぎこちない彼の言葉に、こくり、と頷く。
「…俺を倒す、ため?」
「そ、そうですよ!」
 頼みの綱である魔法は彼に対して効果的ではなかったようだが、実戦練習の時同様、諦めたつもりは毛頭無いのだ。ぐっ、と握り拳を固める。
 ふっ、と隣から空気が抜けたような笑い声が聞こえた。
「エイン?」
 何がそんなに可笑しいんですか、と目を吊り上げたアーシャに、悪い悪い、とぽんぽん頭を叩く。それを振り払った。いつものように。…そうだ。これはいつもの光景だ。何も変ではない。
「覚悟しておいてくださいね!」
 息巻くアーシャに、エインレールは、
「お前もな」
 俺はかなり手強いから、と不敵に笑った。
「そうそう勝たせてやるつもりはない」
「こっちだって、いつまでも負け続けてるつもり、ないですよ!」
 食って掛かるアーシャに、エインレールはハハッと笑う。それと似たような、どうでもいいような、よくないような、そんな話題――たとえば、行きに話していたあの植物たちの話とか――が延々と続いて、もうそろそろ部屋の近くにも来たかと言う頃に、彼は急に神妙なものへと表情を変えた。
「アーシャ」
 呼びかける声に、どことなく緊張を感じ取って、自然とアーシャの背筋もぴんと伸びた。なんですか、と訊き返す声は、気丈に振る舞おうとして、少し失敗し、震える。いったい、なんだと言うのか。
 緊張が伝染し、状況がわからない分不安も生まれる。彼とてそれがわからぬわけでもないだろうに、…それともそれすらわからなくなるほど、これから話されることは重大なのだろうか。
 ごくり、と喉を鳴らす。ひょっとして隣の彼に聞こえてしまっただろうかと思えるほど、大きく。
 すうっとエインレールが息を吸い、途中で口を挟まれることを拒むかのように、一気に喋った。
「前に話したツベルの地への派兵の話なんだが、父に進言しておいた。事情も事情だからな、おそらく通るだろう。それも、あまり時間も掛からないはずだ。急を要する件だからな。早ければ先進部隊が実情偵察のため、明後日にでもあちらに着く手筈になっている」
 だから、と彼が小さく呟いた気がした。しかしいつまで待っても、その続きは語られない。はてと首を傾げたアーシャは、改めてその内容を噛み締めると、
「あ、ありがとうございます、エイン!」
 慌てて礼を告げた。
「もう! やけに深刻な顔をするから、何かと思ったじゃないですか!」
 それから、少し膨れっ面でいじけてみせる。告げられた内容は、決してアーシャにとって悪いものではない。どこか、からかわれたような気さえした。
 でも、とふうわり、無意識に頬が緩む。
「それは、良かったです。本当に。…いくら普段から訓練していてそれなりに能力があって、見張りや巡回も交替制とはいっても、ツベルの地は人もそんなにいませんし。やっぱり息抜きできないとストレスが溜まりますから。人が増えるというのは、いいことです」
 集落のような閉鎖的な空間というと、余所者の存在こそがストレスになりえる場合もあるが、幸運なことに、ツベルの地は元々行商人が訪れる地である。加えてその発祥は流れ者が集まってできたものだと言われている。現に、今住んでいるものの中にも、新たに越してきた者も少なからずいるのだ。―――無論、そのような者にすぐに全幅の信頼を置けるほどのお人好しの集団というわけではない。屈託無く接するが、しかし線引きははっきりとする。ある意味、潔いほどに。
 だからこそ、その一面を好かれているのだろう。それはアーシャが生まれて十七年見てきて抱いた想いだ。
 中にはそれを鬱陶しく思う連中もいるが、ほとんどがその適度な、それでいて温かさを得られる距離感を、好んでいる。
 そんなことをとうとうと考えていたアーシャだったが、どこか陰りのあるエインレールの表情に、意識を引き戻された。
 どうかしたんですか、と口から出かかった言葉を、抑えた。今は踏み込むべきではないと、直感が告げていた。代わりに、もう一度ありがとうございますと礼を言う。
 それに対し、ああいや、となんとも微妙な反応を見せたエインレールだったが、ふとまたあの神妙な顔つきに戻って、
「安心、したか?」
 まるでとても大事なことを、何より大切なことを訊くかのように、アーシャに向かって丁寧に問い掛けた。
 真意を測りかねたアーシャだったが、それよりも今自分がどう思っているのかを彼に伝える方が先だという想いが先に立ち、結論を出す前に既に口を開いていた。
「ええ、とても」
 正解、だったのかどうかはわからない。けれど、少なくともそれは、自分の本心である。間違いではないはずだ。
「エインのおかげです。ありがとうございます」
 エインレールは、小さく息を溜めた。
「―――それか。それなら、いいんだ。それなら、…俺は俺にできる最善を尽くすから」
 …ああ、それとも。その前に息を呑んだのは、もしかしたら自分だったのかもしれない。
「お前が安心していられる状況を、壊さないために」
 誓うよ、と真摯に告げられた言葉に、面食らう。
 何故、彼がこんなにも真剣な顔をして、そんなことを言うのか、わからない。


 わからない、けれど。

 どきり、と心臓が高鳴ったのが、なんのためであったのか。
 わからない。けれど、そこに多少の切なさが募ったのは、きっと彼の所為だ。
 うん、と消え入りそうな声で、自分でさえ聞き取れないくらいの小さな小さな声で呟いた言葉を、それがどんな意味を持っているのか当の本人でさえわからぬような返事を、果たして彼は聞いただろうか。


 ありがとう、と同じくらい小さな声で聴こえたソレは、おそらく空耳だったのだろうけれど。

 なんとも心地の良い、穏やかな空気が漂っていたから、そんなことは気にならなくなっていた。
 ―――だからなのか。
 夕日によって赤く染め上げられた廊下の端に、それと対照となるようにできた影の中、それすら飲み込まんとする真っ黒な闇が蠢いたのに、気がつけなかったのは。

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