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生きたいと想って。生きたいと願って。だから生きているのだと思えるこの場所で――
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 結局、初めての講義は、自己紹介と雑談で終わってしまった。
 今から初めても中途半端なところで終わってしまうから、というのは表の理由で、最初にもっと親睦を深めたい、というのが本音だったように思う。誰のかって、もちろん姫様の。それを彼女を溺愛している侍女が止めるはずもなく、講義というよりかは、どこかの優雅なお茶会のような雰囲気だった。
 初めのうちは緊張していたアーシャも、だんだんと饒舌になり、笑い合える仲にまで発展した。彼女の話す内容が、上流階級の暮らしについてではなく、ほんのささいな日常のことだったりしたのが幸いしたのだろう。そうでなければ完璧に話が合わず、終わる頃には非常に疲れていたに違いない。
 当初の目的は果たせなかったわけだが、それを含めても有意義な時間だったと思う。近頃纏い気味であった陰鬱な気分もぶっ飛ばしてくれるくらい、アーシャにとっては幸せなものとなった。
 講義の話もした。とはいっても、こういうことをやります、という簡単な説明に終始したものだったが。
 いい気分転換だ。無論、勉強が始まった時には、同じ言葉が言えるとは限らないわけだが………しかしたとえそうなったとしても、彼女たちと個人的に話す時間が楽しみを得られるものであることに変わりはないだろうと思う。
 部屋まで送るというキントゥ――最初断ろうとも思ったのだが、まだ道を正確に憶えていないこともあり、頼んだのだ――に笑いかける。
「楽しかったね」
「…それは良かったです」
 返ってきたのは、弱々しい笑みだ。どこかげっそりとしている。そういえば、アーシャとユリティアが話している間中、後ろでは侍女同士が“仲良く”お喋りをしていた。怒鳴り声も響いていたが、話に夢中になっていたのであまり気にならなかったのだ。しかしソフィーネは、アーシャたちが部屋を出る時、彼女とは対照的に、見間違えでなければ、肌も最初より艶々していた。一方の視点からだけ見れば、本当に楽しい対話だったのだろう。
「あー…」
 なんというべきなのか。
 視線を泳がすが、名案など出るはずもなく、妙な沈黙が二人の間に横たわった。しかも、かなり図々しい。
 外を見ると、もう夜の帳も下りようかという頃だ。本当に、随分と喋っていたらしい。廊下は明るいので、気が付かなかった。
(……………)
 無言のまま、天井を見上げる。見上げるほどに、高いのだ。金の装飾が目に入る。
「ど、どうか、しましたか?」
 ちろり、とアーシャの様子を窺うように、キントゥが控えめに訊ねた。
「あ、うん。…随分と違うなと思って。あたしの家と」
 まあ、当たり前なんだけどね。とアーシャは笑う。それから、ふと寂寥を含ませた表情で、
「あたしの家はさ、天井もこんな高くなかったから。それに、夜になったらね、暗いとこは暗いまま。自分がいるところだけ蝋燭で照らして…こんな風に、昼間かと見間違えるほど明るくはなかったな」
 どちらが便利かと問われれば、それはもちろんこちらだろうが。それでもツベルの地のような生活の方が自分の性(しょう)にはあっている。そう感じるのは、生まれてからずっとそういう環境で育ってきたからだろうか。
 ともあれ、慣れないことばかりだ。肩が凝る。これはあるいは、着慣れないドレスの所為かもしれないが。
 隣からは、どこか困ったような気配が漂ってくる。困らせるわけで言ったのではないのだけどな、と思う。ただ逆の立場であれば、自分もやはり困って、何を言ってよいのかわからなかっただろうが。
「気にしないで」
 そんなに深い意味があったわけではないから、と続けようとしたところで、前方に人の気配を感じ取った。
 すう、と視線をそちらに向ける。
「あら、アーシャさんじゃないの! こんばんは」
 赤のドレスを身に纏った相手の少女は、可憐に笑った。その顔には見覚えがあった。たしか、
「クリスティー様…?」
「憶えていてくれて、嬉しいわ」
 勝気そうな目が、アーシャを捉えた。自然、目が合う。綺麗な青紫の瞳。
(―――?)
 なんだ?
 無意識に、喉元に手をやる。
 何かが刺さっているような、そんな感覚。
「クリスティー様!」
 キントゥが悲鳴染みた叫びが頭を通り抜け、ハッと我に返る。先程までのおかしな感覚は、霧散していた。
「だ、駄目じゃないですか、こんな遅くに、一人で出歩くなんて!」
「って、口煩く言う人が絶対にいると思ったから、一人で抜け出してきたのよ」
 クリスティーは腕を組んで、不服そうに口を尖らせた。
「良いじゃないの、ちょっとくらい。別に平気よ、私」
 逆にそうやってくどくど言われる方がよっぽどか精神的に辛いものがあるわ、と続けると、クリスティーは、ねえ、とアーシャに同意を求めるように小首を傾げてみせた。
 アーシャは頭の中で状況を置き換える。クリスティーに何度も口煩く言うという人たちと、自分のこの身なりに対する際のメイドたちの様子を。…少し間違っている気もするが、心境的にはおそらく似たようなものだろう。
「たしかに言われ過ぎるのも…」
「アーシャ様!」
 咎めるように自分の名を呼ばれ、アーシャはびくりと肩を震わせた。
「う…えと、でもみんなも心配するでしょうから、あまり良いことではないですよ」
 言い直された言葉に、クリスティーがくすくすと笑った。
「その前の言葉の方が、ずっと本音という感じに聞こえるわよ」
 実際本音ですから。とは自分を睨んでくるキントゥの手前、口にすることなどできるはずもなく。結局、曖昧に笑うに留まった。
「まあ今回は大人しく言うこと聞いておくことにするわ。…その代わり!」
 クリスティーは、口の前で両手を合わせて、お願い、というポーズを取った。
「みんなには私が出歩いたこと、黙っておいてくれるかしら。バレたら何言われるか…は、想像つくんだけど。私、本当にちょっとだけ廊下を歩くだけのつもりだったのよ。だから見つからないだろうって………」
 思っていたら、運悪く見つかってしまったらしい。
「も、元はといえば、抜け出そうとするのが悪いんですよー」
「う。反省してます…」
 これだけはちゃんと言っておかねばと、キントゥがどもりながらも強い口調で言う。クリスティーもそれは自覚があるのが、少々ばつが悪そうな顔で目を伏せた。時折、ちろりちろりと、目だけが二人の方を向く。
 根負けしたのは、キントゥの方だった。
「……………今回だけですからね」
「ほんと? やった、ありがとう! 助かるわ! アーシャさんも、そういうわけだから、よろしくね? あ、エイン兄様にももちろん内緒よ。兄様に知られたら、連動してアル兄様たちにも伝わっちゃうんだもの」
 途端に元気になった彼女に、ひょっとしてさっきまでのは演技だったのかと驚いていると、同じ結論に至ったらしいキントゥが目を吊り上げた。それに気付いたクリスティーは、何かまた言われる前にと、素早く身を翻すと、一目散に駆けていく。
「ちょ、ちょっと待っ…クリスティー様ぁ!?」
 あああ、と頭を抱えるキントゥとは別に、こうなるだろうな、と多少予想はしていたアーシャが、冷静に声を掛けた。
「寄り道はしちゃだめですよー。真っ直ぐ部屋に戻ってくださいね~」
 その言葉に彼女は肩越しに振り向き、ウィンクをした。あれは「わかってるわ。しないわよ」か、「もうバレるようなヘマはしないから大丈夫よ」か、果たしてどちらの意味なのだろうか。
 追いかけるべきか否かと逡巡したその隙に、彼女の姿は角を曲がって消えてしまった。よくもまあドレスを着てあそこまで軽やかに走れるものだとある種の尊敬すら覚える。
 自分の隣であうあうと言っているキントゥの頭にぽんと手を乗せた。
「大丈夫だよ。ちゃんと部屋に戻ってるって」
 たぶん、と心の中で付け加える。動転したキントゥがあのウィンクを見ていなかったことが救いだった。
「そ…そうですよね! それにクリスティー様、お強いですから、もし何かあっても…あっても……」
「大丈夫!」
 尻すぼみになっていく言葉の続きを、アーシャが力強い声で引き継いだ。
 それに釣られるように、キントゥの表情も明るくなる。そうですよね、と同じ言葉を繰り返した。
「それじゃあ、私たちも早く部屋に戻りましょう」
 こくりと頷き、不意に疑問が過ぎった。
「あたしはそれでいいとして、キントゥはどうするの? 戻る時、一人でしょう」
 一人になることを怖がっていたら何もできなくなるとはわかっていたが、…なにせ彼女だ。アーシャには、誰かしらが常に護衛してくれているであろうユリティアよりもむしろ、キントゥの方が心配の対象に映った。
「あ、大丈夫ですよ。みなさんと一緒に戻りますから」
 しかし予想に反して、彼女の顔は更に明るくなった。
「…そのみなさんって、もしかして」
 嫌な予感がする。
「同僚です! メイドさんで…お部屋に戻った後、アーシャ様の―――」
 そこから先はあえて聞かないでおいた。
 いつの間にか結局“様”付けに戻っているのだけれど…クリスティーがいた時は、「二人でいる時だけ」という約束だったので、様付けされても咎められなかったが、しかし今回は、綺麗サッパリ、忘れているような気がする。
 どことなく自慢げに語る彼女の話を遮り、その旨を告げれば、
「ごごごめんなさいすみすみすみませんすみませんんんんっ」
 かなりどもられたので、彼女の場合に関してはいっそあまり気にしない方がこちらとしても楽かもしれないと考え直した。

 謝罪の嵐を適当に流しながら、今一度、彼女が曲がった角を見やる。
 ―――大丈夫。
 根拠は無い。ただ、大丈夫だと、そう思った。
 心配は不要だと。
「…………」
 喉元に再び手をやる。
 あれはなんだったのだろうか。

 窓の外は、もはや完全に夜に包まれていた。

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