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生きたいと想って。生きたいと願って。だから生きているのだと思えるこの場所で――
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 向かい合う者がいなくなったその場所で、クレイスラティはふうと息を吐き、深く椅子に凭れかかる。
「お疲れですか?」
 誰もいないはずの空間から、声が響く。いつものことだと、特に驚きもせず、そうかもしれないな、と答える。
「なんだか、急に色々と出てきて、参ってしまうね。いつか疲労で倒れてしまいそうだよ」
「倒れないでしょう、貴方は。自分の限界を知っておられる」
「買い被りだよ。僕はそこまでできた人間じゃないさ」
 ふっ、と自嘲気味に笑う。確かに、自分の限界は知っている。完全、とはいえなくとも、ある程度ならば。しかし。
「敢えて無理を、したい時だってあるだろう」
「それは今、ですか?」
「いや…今ではない。疲れているかと訊ねられたからそうかもしれないと答えたけど、実際そこまで疲れているわけじゃない。ただもしそうなった時、そうしそうだと、自分を客観的に見て考えただけだよ」
 本当にやりそうだと思った。何よりも辛いことがあった時、自分はきっとそうするだろう。王として、忘れるわけにはいかないから。逃げるわけにはいかないから。だから、…だけど、少しの逃避行。何かに集中して、それで一時的に忘れようという、そんな逃げ方。我ながら情けない。
 尤も、今までそんなことをした例はないのだが。
 それがいいことであったのかは知らない。失敗は成功の元だという。だとするならば、失敗をしてこなかった自分が本当の意味での成功を手に入れるなど、果たして可能なのだろうか。…しかし遡れば、自分の存在自体があるいは失敗と呼べるものだったのかもしれない。そういう意味でなら、なるほど確かに自分は成功する可能性を秘めた存在だ。
「安心してください」
 自嘲でもなんでもなく、ただ客観的に自分という存在を考えていたクレイスラティの思考を止めるかのように、再び声が響く。
 その声は、すぐ近くから聞こえた。
 いつの間にやら、どこかに身を潜めていたはずの男は、自分の後ろに立っている。ちょうど影の部分に。まるでそれに違和感がない。そこにいるのが当然だとでも言うかのようだ。
「もしそうなったら、私は貴方をどんな手を使ってでも休ませますので」
「おぉ怖い怖い。それで安心しろというのも無理な話だと思わない?」
 おどけながら言えば、けれど相手はくすりとも笑わない。相手が彼なので、それは不快ではなかった。仮にそれが自分の子供たちだったならば、悲しいなあと思っただろうが、彼は違う。
「それならば、無理をなさらないよう」
 情けも容赦もあったものではない。けれど、冗談交じりの言葉に、ここまで真剣に返してくれる相手というのも、自分の周りでは珍しい。それはどこか温かいものだ。いや、別にそう真剣に返さない彼らが温かくないといっているわけではない。ただ、とにかくそれは温かい。そう、クレイスラティは考える。
 妻であるフィラティアス・シャイン・ナティアも数少ない、その“珍しい”種の人間であったが、生憎と今ここにはいない。今の時間帯なら、おそらくティータイムでも楽しんでいるのではなかろうか。――ああ、楽しんでいれば良いけれどな、とずれた思考を直しもせずに彼女の姿を思い浮かべていると、アーフェストが苦笑したのがわかった。
「またフィラティアス様のことを?」
「………なんで君はそう無駄に敏(さと)いかな」
 そこまで見抜かなくても良いよ、と頬杖を突きながら言うと、「それは申し訳ありませんでした」と、頭を下げられる。これで次言われないかというと、そういうわけではないということは、これまでの付き合いでわかっている。
 まったくもって、やりにくい。
 やれやれと肩を竦めながら、これ以上突っ込まれても困るとばかりに、強引に話の転換を図る。
「…彼女、どうあっても帰りたいらしいね」
「あそこが彼女の家だからでしょう」
 急に変わった話題に、アーフェストは戸惑うでもなく返す。あるいは、この話題が出てくることを最初から予測していたのかもしれない。
「約束、か………」
 ぽつり、と呟く。
「口約束だ。誓約書も何もあったもんじゃない。けれど何故だろうね。彼女はそれが守られると信じている」
「貴方はそれが守られないものだと?」
「さてね。全く関わりの無い者とのそれでも守られることはある。けれど、親しい間柄のそれが守られないこともある」
 つまるところ、とても曖昧で不安定なのだ。そんなことは、少し考えればわかるだろうに。見たところ、そこまで頭が回らないようではなかった。それでは、わかっていて言っているのだろうか。どちらにしても、どうにもしっくりこない。
「貴方はそれを守るつもりですか?」
「…………………」
 少しの間、黙り込む。それから、口を開いた。
「まあ、本人が強くそれを望むのならね」
「本人を前にして言っていることと正反対ですね」
「だって彼女、面白いし。反応が」
 主のその返答に、アーフェストは苦笑する。けれど別に咎めるわけでもないようで、静かにその続きを待つ。
「それに――――破らざるを得ない状況になるとも限らないし、ね」
 くす、と笑うクレイスラティの瞳は、けれどどこか悲しげだ。
「それならば、確約など最初からしない方が、無駄に希望を抱かずにいられて、幸せだとは思わない?」
「…それは、私の決めることではありませんゆえ」
「そうだね。僕の決めることでも、ない」
 わかってるんだけどね、とクレイスラティは小首を傾げてみせた。
「ところで、」
 不意に、その視線が鋭く、纏う雰囲気が、威圧的なものに変わる。それに伴い、アーフェストの顔つきも、どこか柔らかさのあったソレから、どこか“無”を連想させるソレへと変貌する。何故か。理由は簡単だ。目の前にいるのが、“王”だからだ。
「彼女のことは、何か?」
「いえ、まだ何も。何分(なにぶん)、ここを離れる機会がそうそう訪れてくれませんから」
「そうか。ならそっちは後回しで良い。それより先に―――やはり、まだいるか?」
 主語が抜けた問いかけは、けれどかの従者に伝える分には十分であったようだ。アーフェストは肯定で返した。
「どうします? 一掃しろと言うのなら、そうしますが」
「いや、いい。暫く泳がせておけ。ただし目は離さないように。不穏な動きが出たら報告しろ。緊急時はこちらの指示を仰がず、お前の考えで自由に行動してくれて構わない」
「承知しました」
 軽く一礼する。
 クレイスラティの言葉はつまり、彼を全面的に信頼していると、そういうことだ。普通の者ならば畏怖か歓喜、あるいはその両方を覚えるほどのものに、アーフェストは動じなかった。もちろん光栄だとは思っているが、しかしそれだけだ。勿論それは主を軽んじているというわけではない。むしろ逆に、信頼し、尊敬しているからこそ、アーフェストをそれを表に出さない。
「しかし本当に、何者だろうな、彼女は…」
「さて、どうなんでしょうね」
 半ば独り言のように呟いた言葉に、アーフェストも眉根を寄せる。普段素直に自分の感情を顕(あらわ)にしない彼にしては、珍しい。
 彼女の行動に演技のようなものは見られない。あるいはそう見せているのかもしれないが、そうだとしたら魔力云々よりも、そちらの方がすごい才能だと思う。
 それでも疑う。それが自分の仕事だ。
「彼女に最初に掛けた支配魔法…あれが実は掛かっていなかった、という可能性はあるのかな?」
「あれだけの至近距離です。しかも魔法への耐性はゼロ。掛かっていないということは無いと思いますが…」
 加えて言うならば、彼女が持っていた剣は本物だ。それを探す術が無い以上、彼女が剣を見つけたのは全くの偶然だということになる。
 それから少し間を置き、付け足す。
「まあ、今もう一度それをやろうとしたら、失敗するかもしれませんが」
「…君ってさあ、大概僕に対する遠慮とか無いよね」
「事実です」
「わかってる」
 ただそれはあきらかに、彼女の方が上だと言っているようなものではないか。別段気にしていないから良いが、聞く者が聞けば憤慨するだろう。彼のことだ、ここに自分しかいないからこそ、そのような口を利いているのだろうが。
「流石にそこまで偽ることはできないだろうから、やはり彼女自身は何もしていないと考える方が自然か」
 ふう、と息を吐く。自分が今、どのような感情を含んでその言葉を吐いたのかがわからなかった。ただ淡々と事実を述べただけなのか、それとも確かな安堵があったのか…?
 どちらにせよ、
「………無関係である、とはまだ言えないか。仮にこの件とは無関係だったとしても、――――」
 クレイスラティはそこで言葉を切った。その先は、まだわからない。今回の件は、わからないことが多すぎる。問題が一つなのか二つなのか、それすらもわかっていないのだ。
「おかしいよねえ、彼女は」
 異常といえるまでの魔力を持ったそのことが、ではない。
「まるで、――――まるで彼女は、いつか戦いに巻き込まれるということがわかっていたみたいじゃないか」
 彼女自身が、ではない。
 彼女ではない誰かが、だ。
「あの剣術は、明らかに実戦向きだよ。近隣に生息する魔獣に対するものでも、確かにあるのかもしれないが、それだけじゃない」
 戦うために、教え込まれたような。
 何者からか自分の身を護らせるためだけに、教え込まれたかのような。
 それを知っていた人間が、彼女に剣を教えた? では、彼女が戦いに巻き込まれると思った、その理由はいったい何か。少なくとも、王女が狙われてそれを助けるため、ではないだろう。それではあの魔力が原因か? そうかもしれない。けれど、そうでないかもしれない。
「………ツベルの地、か」
 ぽつりと、彼女の始まりの場所の名を唱える。
「剣があの地に落ちたことが、彼女が舞台に上がることになった理由なら、それは偶然か、それとも必然か」
 お前はどう思う、と影に潜む臣下に意見を求める。
「そうですね…偶然も重なれば必然と言いますから。―――陳腐な表現を使うなら、運命、という言葉もありますが」
「ははっ、運命か!」
 クレイスラティは笑った。よもやそのような単語が飛び出してくるとは思っていなかったようだ。
「……まあ、それが案外、一番しっくりくるのかもねぇ」
 ひとしきり笑った後、クレイスラティは静かに小さく、芝居がかった口調で呟いた。
「さてはて、それでは運命の歯車とやらは、果たしてどこに向かっているのやら」

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