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生きたいと想って。生きたいと願って。だから生きているのだと思えるこの場所で――
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 そこは、世界の“上”だ。上といっても、物質的な意味の上ではない。だけれど、そこは確かに世界の“上”なのである。ある意味、“そこ”こそがルクシュアルなのだ。

 白く白く広がる床は、ルクシュアルの上空に浮かぶ雲を模ってか、ふわふわと、まるで綿菓子のようだ。一歩足を踏み出すたびに、少しだけ沈む床。
 そこを少女が金色の長い髪を揺らしながら、軽やかな足取りで歩いていた。
 例えば初めてここに来た者がいたならば、きっとその不安定さに足が竦み、こんな風には歩けなかっただろう。しかし昔から―――ずっとずっと昔からここに存在していた彼女にとってみれば、そんなことは関係ないのだ。……ただ偶に、転ぶだけで。そう、“偶に”、転ぶだけ、だ。
 手には桶と柄杓。歩きながら、柄杓で水を撒いている。
「ふんっふふっふふ~ん♪」
 えらく上機嫌だ。
 それもそのはずで、少女は親愛なる同僚に頼んで頼んで頼み込んで、ようやくこの仕事を貰ったのだ。
 ―――世界に雨を降らせる。
 それはなんて面白いことなのだろう。
 とてもとても、楽しい。
 だからきっと、頬がこんなに緩んでしまうのは、仕方がないことなのだ。
 イル=ベル―――姓と名の区切りはない。少女の“名前”は、あくまで“イル=ベル”なのだから―――は、出来たばかりの自分たちの世界を見下ろした。たしか、世界が出来てから、まだ500年。少なくとも、いつ生まれたかさえわからないほどに長く生きているイル=ベルにとっては、500年なんて、本当に短いものだ。
 緑が溢れている。川を流れる水が、太陽の光に反射して、きらきらと光っている。鳥の囀(さえず)り…はこの距離では流石に聴こえないが。
 いいなあ、と思う。ここには緑もあるし、川も流れている。けれど、鳥はいない。“ここ”には、イル=ベルたち以外の者はいない。だから、良いなあ。
 と、そんなことを考えていた所為だろうか。
「イル=ベル、サボってるのかい?」
「うひゃうあぅっ」
 突然話し掛けられ、思わず肩を大きく震わせてしまった。
「び、びっくりしたのです……―――あ、ムトリ=ルー! あたし別にさぼってなんかないのです! ていうか、なんてことするのですかっ。あ、危うく零してしまうところだったのですよ!?」
 ぷくう、と頬を膨らませて、抗議すれば、ムトリ=ルーは、「それはすまなかったね」と言って笑う。絶対、悪いなんて思っていない。口先だけだ。尤も、彼は自分に対してだけそうというわけではないけれど。むしろ、イル=ベルが相手だと、まだマシになる方なのだ。これが自分に仕事を任せてくれた彼――レイ=ゼンだったりすると、もっと酷くなる。
 しかし、それは悪いことではないと、イル=ベルは思っている。こんなことを本人に言えば、「じゃあお前が代わりにアイツの相手をしてくれよ。俺はごめんだ。もう嫌だ」と眉を思いっきり顰めてイル=ベルのことを睨みつけるのだろうが。
 …話を戻そう。
 ムトリ=ルーは決してレイ=ゼンよりもイル=ベルの方が好きだから言い方が甘くなるというわけではないのだ。彼はむしろ、自分に突っ掛かってくるレイ=ゼンの方が好きに違いないのだから。イル=ベルは、それがちょっとだけ、羨ましかったりする。二人がそうして会話―――レイ=ゼン曰くの、「根本的な思考回路の相違から生まれる、相手を扱き下ろすための公平かつ平等な口での言い争い。つまり喧嘩」で、「喧嘩するほど仲が良いってのとは、絶対に絶対に絶対に違うから」らしい―――していると、イル=ベルは一人取り残された気分になるからだ。
「ところで………」
 ハッと我に返った。
「は、はい?」
 取り繕うために、無意識に、柄杓を持った手で、前髪に触れる。と、中にまだ水が残っていたのか、それを頭から被ってしまった。
「ひゃあっ」
「……イル=ベル、大丈夫かい?」
 流石のムトリ=ルーも少々呆れ顔だ。何度も首を振り、大丈夫だと告げる。顔が赤くなっているのは、きっと彼のことだからお見通しだろうけれど、それでも出来ることなら隠したかったから、そのまま俯く。
 髪から水が滴り落ちて、頬に付いた。あれ、と思う。湧き出る違和感。なんか、これ………――――
「付いてるよ」
 いつ取り出したのか、ムトリ=ルーはハンカチを持った手をイル=ベルに伸ばすと、あっという間にイル=ベルについた水を拭き取ってしまった。そのことにびっくりした所為で、結局覚えた違和感はうやむやになってしまった。


 思い出したのは、レイ=ゼンが凄い形相をして詰め寄ってきた時だ。後で思い出すに、この時のムトリ=ルーの行動は、きっと全てをわかっていた上でのことだったのだろうと思った。レイ=ゼンには言わなかったけれど。だって言ったら、二人はまた言い争いをして、自分はまた置いていかれてしまうから。

「―――で、さぁ」
「あ、うん。なんですか?」
 かなりの至近距離に驚き、あわあわと後ろに下がるイル=ベルに対してなのか、ムトリ=ルーはくすくすと笑いながら、桶と柄杓を指し示した。
「それってさ、何、やってるの?」
「え? これ、ですか? 水撒きですよ。世界に雨を降らせているのです。レイ=ゼンから任されたのですよ!」
 見てわかるのに、不思議なことを訊くものだと思いながら、けれどイル=ベルは胸を張って答えた。………だって、レイ=ゼンがようやく任せてくれた仕事だ。誰かに自慢したくて、でもここには三人しかいないから、自分とレイ=ゼンを除いた“誰か”はムトリ=ルー以外にいないのだ。
「へえ、そうなんだ。レイ=ゼンが、キミに、かぁ」
 それはまた珍しいね、とムトリ=ルーはくすくすと笑った。その言い方ではまるでレイ=ゼンがイル=ベルに頼みごとをすること自体が珍しいと言われているみたいだ、とイル=ベルはちょっとムッとした。まあ、まさしくその通りであったから、言い返すことは出来なかったけれど。
 ムトリ=ルーは、イル=ベルの不満に気付いたらしかった。くすくす笑いを止めずに、続ける。
「だって、ボクがキミにお願いすることはあるけれど、彼がキミにっていうのは、本当に珍しいからね」
「………そんなこと、言われなくてもわかっているのですよ……」
 でも、正面きって言われると、ちょっと傷付く。ぐさっときた。しゅんとしょげかえったイル=ベルに、ようやくムトリ=ルーも“くすくす”を止めたようだ。
「ああ、ごめん。悪気があったわけではないんだ」
「……知ってます。ムトリ=ルーはいっつも悪気があって何かすることはないのです」
 ただ逆にそれが、悲しくなるくらい正論だから、泣きたくなってしまっただけだ。
 イル=ベルからの返答に、珍しく表情を大きく崩してきょとんとしたムトリ=ルーだったが、結局イル=ベルの言葉には何も返さず、控えめに笑うだけだった。
「それじゃあボクはこれで。―――水撒き、頑張ってね」
 その言葉にこっくり頷いた。ムトリ=ルーはそれを見ると、さっさと背を向け、歩いていく。あの方向なら、向かっているのは十中八九レイ=ゼンのところだろう。そうして、また“お話”をするに違いない。あの二人はいつもそうだから、今日だって例外ではないのだろう。
 そういえば、とイル=ベルは思い出す。
 レイ=ゼンは自分には「仕事をするな」と言うけれど、ムトリ=ルーには「仕事をしろ」と言う。
 イル=ベルは「仕事がしたい」と言っていて、ムトリ=ルーは「仕事はしたくない」と言っているのに。
「…………………」
 別にレイ=ゼンが悪いわけではない。ムトリ=ルーが悪いわけでもない。ただ、イル=ベルがちゃんと出来なくて、だから任せてもらえない―――それだけのことなのだ。
 だって、本当に久し振り。今のコレの前に、レイ=ゼンに何かを頼まれたのは、いつのことだったっけ。―――ああ、そうだ。確か30年ほど前のこと。今と同じように、比較的簡単である水撒きの仕事だ。その時は盛大に転んで桶の中身をいっぺんに零してしまって、世界に局地的な大雨を降らせてしまった。…あの時は本当に怒られた。
 イル=ベルは憂鬱そうに一度ため息を吐くと、気分を切り替え、また水を撒き始めた。


 ―――因みに。
 イル=ベルがそんな大惨事を引き起こしたちょうどその前日、とある村で雨乞いが行われていた。次の日、局地的な大雨がその村に訪れ、村人たちが“神の恵み”に飛び上がって喜んだことを、彼女は知らない。

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