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生きたいと想って。生きたいと願って。だから生きているのだと思えるこの場所で――
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 草木が鬱蒼と茂っている。この景色はもうそろそろ見飽きた頃だ。また近いうちに模様替えでもしようか、と考えながら、その中にぽつんと立つドアの前に立つ。後ろに家が立っているわけではない。ただ、ドアがそこに存在するだけだ。そして、ドアの奥も、もちろん存在している。ただしそれは、“ここ”ではないけれど。
 ムトリ=ルーは二回ドアを叩くと、入室の許可を待つことなく、その奥に足を踏み入れた。
 先程の森よりも、「狭い」と感じさせる部屋だった。もちろん実際の大きさを比べているわけではない。それなら部屋の方が狭いのが当たり前だ。だからこれは、体感的に、という意味である。
 まあ、それもそのはずだ。視線をどこに動かそうとも、所狭しと積み上げられた書類の山しか目に入らないのだから。
 けれどそれは慣れたもので、ムトリ=ルーは特に気にすることなく、その奥にいるはずの友人(本人は絶対に違うと言い張る)に声を掛けた。
「やあ、レイ=ゼン。ご機嫌はいかがかな?」
「お前が来た所為で最悪だ。いや、正しくはお前が仕事を俺に全部押し付けて遊び呆けてる所為、だけどな」
 奥の方から、唸っているかのような声が聞こえた。その返答にムトリ=ルーはくすくすと笑う。
「ふうん。そう、それじゃボクが仕事を全部片付ければ、キミの機嫌は治るわけかい?」
「………ある程度は、な」
 ある程度ねえ、と返して、ムトリ=ルーは、レイ=ゼンのいる方へと、積み上げられた書類の山の間を器用に通り抜けていく。
 奥で自分の机に座り、書類を片付けていたレイ=ゼンはそれをちらりと見て、それからすぐにまた書類に目を落とした。今は彼の相手をしている暇は無い。三人分の仕事を全て一人でやっている所為で、とにかく時間が足りないのだ。せめて彼の半分くらいの器用さがイル=ベルに備わっていれば、また話は別だっただろうが、とレイ=ゼンは静かにため息を吐いた。
「ねえ、レイ=ゼン。知ってるかい?」
 無視だ、無視。レイ=ゼンは何も答えずに、目の前の書類を、まるで親の仇でも見るかのような目で睨みつけた。…別に書類が憎いわけではない。いや、憎いといえば憎いのだが。
 ムトリ=ルーは返事が無いことなど全く気にしていない様子で―――あるいは、最初から返事が無いことを予測していたのかもしれない―――、言葉を続けた。
「ため息を吐くと、幸せが逃げるらしいよ?」
「誰の所為だっ、誰のっ!」
 思わず怒鳴った後に、しまった、と思った。くそう、これじゃあいつもと変わらないじゃないか。今日こそは、絶対こいつの戯言には何も返さないと決めていたのに。そういえば、来て早々に口を利いていたけれど………いや、でもあれは、なあ。
 ぶつぶつと言い始めたレイ=ゼンを、ムトリ=ルーが面白そうに見ている。
 それからふと思い出したように、ムトリ=ルーが、
「キミ、イル=ベルに仕事を頼んだんだってねえ」
「………やる気はあるからな、あいつ」
 実力があれば、もっと良いんだが…。言外に秘められた言葉に、ムトリ=ルーが苦笑する。
「で、さぁ。あれ、水、撒いてるんだよね?」
 最終確認のようなそれに、レイ=ゼンが肯定で返す。
「というか、見てわかるだろう、そのくらい」
「う~ん…」
 どこか含みを持たせた言葉に、眉を寄せる。一体なんだというのか。
「さっき彼女に会ったんだけどね」
「…まあ、そりゃそうだろうな。さっきの話も、あいつから聞いたんじゃなきゃ、お前の耳には入らないだろうし」
 言葉を返し、それから不意に、ついさっき反省したばかりのことを思い出し、
(――――……まあ、いいか)
 結局、“それ”については諦めた。
 どうやらいつもよりもマシなようだし。

 ――――ソレがいつもよりもマシでないことが発覚するのは、レイ=ゼンがそう思うよりも後のことだ。…当然といえば、当然だが。

「うん。で、その時に彼女、ちょっとしたアクシデントで水被っちゃってねぇ」
「アクシデント…?」
 それは彼女が自分で何かやらかしたのか、それとも目の前のコイツが何かやった所為でそうなったのか。どちらもありえそうだ。どっちだ、と目で訊いてくるレイ=ゼンに、ムトリ=ルーは敢えて何も返さずに、話を進める。
「で、ボクがハンカチで拭いてあげたんだけどね」
「…お前が? 珍しいこともあるもんだな」
「ふふ。偶には、ねぇ」
 で、
 ムトリ=ルーは上着のポケットから、そのハンカチを取り出す。それに対し、レイ=ゼンは最初、眉を寄せていたが、次第に眉は上がっていき、それと比例するように顔がサアッと青くなっていった。
「ま、さか……お前それ…っ!」
 愕然、という言葉がこれ以上ないというほどに似合うその表情で、立ち上がる。椅子がガタンッ、と大きく音を立てたが、それすら気にならないほどに、今のレイ=ゼンは焦っていた。
 今すぐにでも、イル=ベルを止めなければ。
 しかしもう手遅れか…? いやでも、そのまま放置しておくよりかはマシだろう。
 とりあえずわかっていたクセにそのまま素通りしてきたこいつに一言文句を言わなくては気が済まなかったのだが、思うように言葉が出てこない。
 そんなレイ=ゼンの心情をわかってだろうか、ムトリ=ルーは極自然に笑顔を浮かべてみせた。
「ん? どうしたの?」
「――――っ、このっ…やろ」
 それ以上言葉が続かなかったのか、結局レイ=ゼンはそのまま部屋を飛び出していった。かなり焦っているだろうに、器用に書類の山の間を抜けて。
 自分よりも随分と器用じゃないか、とムトリ=ルーは笑った。今度は先程の作った笑顔ではない。いや、先程のソレだって、楽しくて笑っていたことに違いはないのだが。
「―――――――」
 彼の存在がなくなった所為だろうか、元々書類しか置いていない寂しい部屋であったが、それがますます寂しい空間となったように思えた。
 今頃ものすっごい勢いで走っているに違いない彼の姿を思い浮かべ、それからそれをひどく驚いた顔をして迎える彼女の顔が過ぎった。それからふと、寂しげな表情を見せた彼女が―――。
「…………沈まなきゃ良いけど」
 自分でやっておきながら、そんなことを思う。でもまあ、言い訳をさせてもらえば、あの時点で既にかなりの量を撒いた後だったわけで。
「――――さて、と」
 空いた椅子に、腰を下ろす。机に広がる書類を持ち上げた。
「ま、自分の分くらいはやってあげても良い、かな」
 くすくすと笑いながら、ムトリ=ルーはペンを手に取り、くるりと綺麗に回して見せた。

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