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どどどどどど…と遠くから地響きに似た音が聞こえる。なんだろうか。この土地には、もちろん“下”にある地震というものは存在していないから、それではないことは確か。じゃあ、何?
なんとなく嫌な予感が頭を過ぎったが、勇気を出して、振り返ってみた。
―――――振り返らなければ良かったと、後悔したのはそのすぐ後だ。
「………レイ=ゼン」
が、とーっても怖い形相でこちらへ向かってくる。そこで自分の横を通り過ぎていくだけなら別に良いけれど、絶対に、そうではないだろう。彼はイル=ベル目指して走ってきているのだ。しかも、決して良い内容ではなさそう。
今度は何をしてしまったんだろうか。イル=ベルは肩を落とした。今度こそは何事もなく、ちゃんと仕事をこなせたと思ったのに…一体、何故? 何がいけなかったのだろう。
と、そこまで考えた時、ふと、先程覚えた違和感のことを思い出した。
―――そういえば、あれは一体、何だったのだろう。
そんなことが突然気になってきて、イル=ベルは桶に手を突っ込んだ。
中にあるのは、水、のはずだが。
「……………あ」
感じ取れたのは、
「ま…りょく………?」
そう、だ。そうだ、そうだ、そうだ。あの時顔についたもの。何かおかしいとは思っていたのだ!
あの時にちゃんと確かめておけば良かったと思ったが、もう遅い。というか、もし仮にあの時気付いたとしても、それでももう遅かっただろうが…。
「ああ、またやっちゃった…」
はあ、とため息を吐いたのと、レイ=ゼンが彼女の目の前で止まったのは、ほぼ同時だった。肩で息をする彼に大丈夫かと声を掛ける勇気も無く、ただただそこで立ち竦んでいると、レイ=ゼンは息が整ったらしく、そのまま顔を上げた。
…………めちゃくちゃ怖い。
「ご、ごめん…なさ…い、なの…です」
「お前………何で自分が謝ってるのか、わかってるのか…?」
半眼でじろりと睨まれ、思わず悲鳴を上げてしまいそうだったが、そこはぐっと堪える。ムトリ=ルーはよくもまあこれを見て、いつも平然と笑っていられるものだ。…そういえば、レイ=ゼンがここにいるということは、ムトリ=ルーがそのことを彼に教えたのだろうか。その前に自分に教えてくれたってよさそうなものなのに、とちょっと思ってしまう。別に、彼が悪いわけではないことは、十分に理解しているのだけれど、それでも。
そんなことを頭の片隅で考えつつ、ごにょごにょと小さな声で「……わかっています……」と答える。
「水が……水が魔力に…………」
いつの間にやら代わって、とは言わなかった。言いそうになったけれど、ぐっと堪えた。それを言ったら絶対、レイ=ゼンはますます怒るに違いない。もうかなり怒っているようだけど。
これで、次に仕事を任せてもらえるのが、当分先のことになるのは必至だった。前は30年だったが、次はどのくらいだろう。50年? 下手したら、100年以上先かもしれない。その間、自分はずっとずっとずーっと、自分がしたことを悔やみ続けるのだ。なんとも気の遠くなる話である。他人事にように言っているが、実際は自分のことなのだから、更に。
「おっまえなぁ……阿呆か! 馬鹿!」
「ううう、ご、ごめんなさい………」
とにかく、謝るしかない。謝って解決するわけではないけれど、起こってしまったことは…起こしてしまったことは変わらないけれど、それでも。
「ごめ、ごめんなさ、なのです……」
泣いちゃだめだ。何度も言い聞かせて、込み上げてくる涙を必死で抑えて、それでもじわりと浮かんでしまう涙を見せないようにと俯いていれば、頭上からこれ以上ないといえる程の、大きなため息。
「おい…」
やっぱり呆れられている。今度こそ、口も利いてくれない程に、嫌われてしまったかもしれない。
無理もないことだけれど。だって、自分は失敗してばかりで、何をやってもレイ=ゼンの仕事を増やして………―――本当に、情けない。
「おい、こら………」
もういっそのこと、何もしない方が良いのかもしれない。否、そうするべきなのだろう。でも、それには激しい抵抗感がある。ただでさえ何も出来ないのに、その上彼らに面倒を見てもらうなんて。………ああ、ここに自分がいなければ、それだって気にすることではないか。
イル=ベルの思考はどんどんと暗い方へ暗い方へと進んでいく。
気のせいでなければ、レイ=ゼンの放つ怒気も増しているようだ。顔は見ていないが、これでも長いこと一緒に過ごしてきたのだから、イル=ベルにはわかった。彼は本気で怒っているのだ。
もちろん、怒らせるつもりであったわけではない。少しでも役に立てたらと思っただけなのだ。
それなのに―――――
「―――ンのっ……イル=ベル!」
「ひっ、ひゃ、ひゃいっ!」
思わず顔を上げて返事をしてしまった。しかも声が裏返った。…まあそれは、急に名前を呼ばれたからというよりも、レイ=ゼンの顔が先程よりも随分と険悪なものになっていた所為なのだが。
「お前さっきから人が呼んでんのに………」
「ひ、あ…?」
きょとんとしてレイ=ゼンを見れば、彼はぶつぶつと小声で何かを呟いている。
いつもであったら、ここでまず、怒声が飛んでくるはずである。
暫く呆然とそれを見ていたイル=ベルは、ハッと我に返り、なけなしの勇気を振り絞って、レイ=ゼンに声を掛けた。なんだよ、と明らかに不機嫌そうなレイ=ゼンに、声を掛けたことを早速後悔したのだが、ここで引いたら絶対にまずい気がして、その場の勢いだけでそのまま続けた。
「あのっ、あのっ……あたあたあたしっ、あたしっ………えと、えーっと………………えぇと……」
無理だった。
何を言えば良いのか、何を言いたかったのか。確かに発言する前に考えたはずなのに、出てこない。うんうんと唸るイル=ベルを見るレイ=ゼンの顔が、更に呆れたものに変わっている。それを見て更に焦る。――――悪循環。
「う…………ご、ごめんなさいなのですーっ」
最終的に、暴走した。自分でも何がしたいのかわからない。わからないけれど、レイ=ゼンに合わせる顔がなくて。合わせる顔がないのに合わせてしまって。それは絶対に根本的な解決にはならないとちゃんとわかっているのに、身体は気が付いたら、勝手に動いていた。
―――――つまり、逃げた。