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生きたいと想って。生きたいと願って。だから生きているのだと思えるこの場所で――
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「エイン、着きましたよ!」
 ぐるぐると途方もなく回る思考を現実に戻したのは、アーシャの一言だった。そこには、先程まで若干の気まずさが――とはいえそれはエインレールが一方的に感じていた気まずさではあったが――流れていたとは思えないほどの軽快さがあった。
「あ、ああ…そうだな」
「どうします? また裏に回るんですか?」
 ちろりとそちらに目を向けるアーシャに、いや、と否定の言葉を投げかける。
「ウェスタンが来いって行った時は」
 素早く木の扉に近付くと、ノックもしないまま手を置くと、それをゆっくり手前に引いた。
「大抵鍵が閉まってない」
「って、無用心すぎませんか?」
 否定できない事実だ。王が目に掛け、城の敷地内に住まわせるほどの職人である。狙われる可能性は十二分に在り得る。一人二人ならば襲撃されても返り討ちにできるだろうが、大人数だったら彼でも対処ができるかどうか。
 そもそも、そんな大人数の侵入を許すということがまず問題なのだが。前のアレだって、水面下で対策を練っていたから兵の負傷程度で済んだのだ。…多少予期せぬ事態も混じったが、その上で死亡者が出なかったことはひとまず誇ってもいいだろう。
 閑話休題。
 ともかく、普段より対策はしているということだ。
 それはもちろん、本人の性質上警備が手薄になりやすい彼の周辺も然り。
「その辺は安心していい」
 どういうことかは言えないが、安全は保障されている。完全ではないにせよ、今でき得る最大限のことはしている。
 一言に込められたこれらの意味は、とりあえず彼女に伝わったようだ。そうですか、と納得したような声を上げる。あるいは訊ねる前から薄々予想はしていたのかもしれない。
「入るか。ここにいても仕方ない」
「あ、はい」
 返事を認めると、エインレールは家の中に踏み入れた。換気もまともにしていないのか、やけに湿っぽい空気に、眉を寄せる。昔からここに通っていたこともあり、今ではもう“勝手知ったる”という域にあるこの家を、リビングを目指して迷わずに進む。後ろからは、アーシャが少々暗い廊下を、足元に気をつけながら慎重に進んでいる気配がした。それは正しい判断だ。偶にとんでもないものが転がっている時があるからな、とエインレールは自分の経験と今の彼女の状況を照らし合わせて考える。
 リビングに続くドアを開け放つと、もやり、と玄関の非でないほどの湿り気を帯びた空気が流れ出てきた。まるでそこにいるだけで病気になりそうな状況の中、いったい彼はどういう生活を送っているのか。甚だ疑問である。
 舌打ちをするために口を開けることすら疎ましく、足早に窓に近寄ると、手馴れた動作で開け放つ。剣を打ち終わった後の家の悲惨さは、もう何度目かの体験だ。…尤も、何度体験しても、この嫌な空気にだけは一向に慣れないが。
 新鮮な空気がふわりと中に侵入したところで、エインレールはようやく一息ついた。入り口に残してきたアーシャの方を振り向くと、彼女はちょうど慌ててこちらへと逃げてきているところだった。
「ぷはっ」
 窓から身を乗り出し、大きく深呼吸。
「大丈夫か?」
「はい。…でもあの、ウェスタンさんはこれ、大丈夫なんですか?」
「本人は大丈夫だと言い張っているが、おそらく身体に悪いだろうなと、全員口を揃えてる」
 つまり大丈夫じゃないんですね、とアーシャがくたりと窓枠に身体をもたれながら呟いた。
 倒れたアーシャをひとまず放置し、別の窓も次々と開け放っていく。しばらく換気をしていると、部屋の空気はだいぶ良いものに変わり、アーシャの顔色もそれに比例して良くなっていった。それでもおそらく初めてここに足を踏み入れた者にしたら若干じめっとしているだろうが、少なくとも最初よりかは上等な空気だとは言える。
「でもほんと、よくないですよ。誰かウェスタンさんに忠告とかしないんですか?」
「して聞き入れるようなたまだったら、今頃様々なことが改善されてる」
「…なるほど」
 それは妙に納得できる。そう言わんばかりにアーシャが首を上下に動かす。
 が、
「どういうことだ、えぇ?」
 その発言も、同意も、本人は至って不服だったらしい。
 奥から出てきたウェスタンの顔は、若干疲れ気味だ。扉から出てきたその姿もどこかくたびれており、倦怠感を撒き散らしている。
 ふあ、と大きな欠伸を一つした彼は、そのままどしどしと詰め寄ってくると、「俺がどうしたってんだ?」と機嫌が悪そうに重ねて言う。
「別に…意地っ張りで身を滅ぼしそうだよなって話をしていただけだが?」
「え、エイン!?」
 何もそんな正直に言わなくても、と小声で続けた彼女に、自分の売り言葉よりもむしろその発言の方が彼の逆鱗に触れるだろうなと考える。
 案の定、剣呑な光をより一層強めたウェスタンは、アーシャをじとりと睨みつける。
「おい…」
「あ、ウェスタンさん。違いますからね? 意地っ張りの頑固者は面倒くさいなんて思ってませんから!」
「小娘、喧嘩売ってんのか?」
 米神に青筋を浮かばせたウェスタンが、その原因の少女を見下ろす。一回り・二回りどころではない年齢差のため、その反応は心底大人気なく映る。まあ、意識的にか無意識的にか、そうして煽る彼女も彼女だが。
 きょとりと目を瞬かせている少女に、ああこれは無意識だったなと悟る。ある意味一番厄介。
 その頭をぽんと叩き、ウェスタンに向き直る。
「それで、剣は?」
 言いながら、視線を彼の手元に移す。左手でしっかり握られたソレが、おそらくそうなのだろう。
「ん…? ああ、剣な。これだ。ほれ」
 ひょいと無造作に――とはいえ彼が本当に自分の打った剣をそう扱うことは無いので、それも“そう見える”というだけのことだろうが――放られたそれを、慌ててアーシャが抱え込むようにキャッチする。
「どうだ?」
 ひどく端的な質問に、アーシャは困ったように眉根を寄せた。
「握ってみろ」
 言われて、じいっと剣を見つめること数秒、ゆっくりと――まるで神聖な行為のように、それを鞘から抜く。太陽の恩恵をあまり受けていない部屋で、しかしそれは輝きを放っていた。強く、それでいて淡い光だ。それはいつか見た彼女自身の魔法を彷彿とさせる。
 それを当然、といえばいいのか。
 ウェスタンが、彼女のために、彼女を想って打った剣だ。それはアーシャ自身を映した剣だ。だから似ている――あるいは、同義なのである。
「……………」
 それをわかっているのかいないのか、アーシャは真剣な眼差しを、刀身にゆっくりと滑らせている。
「どうだ?」
 もう一度、同じ質問。
 アーシャは剣を収め一拍置いた後に、にこりと笑った。
「ありがとうございます」
 そこにどんな感情が込められていたのか、おそらくそれは彼女自身にもわかっていないのだろう。ただ、長年剣を打ってきたウェスタンには、伝わったようだ。そうか、と満足気ににやりと笑う。
「じゃ、お前ちょっと外に行って馴染ませてこい。ついでにその後で俺が出した宿題の件についても詳しく聞いてやる」
「へ、どういう…」
 と、そこでアーシャは、「宿題? って、何のことだ?」と首を傾げているエインレールに、一瞬、視線を走らせた。
「あー…―――わかりました」
 言うなり、アーシャは窓枠に足を掛けた。ぎょっとしたのは、他の二名だ。
「お、いアーシャ?! 何してる!?」
「何って…外に出ようと」
 なんでそんなことを訊くのだろう、と心底不思議そうにしている彼女に、間違っているのはこちらだったかと納得しかけ、滅多に見られないウェスタンのぽかんとした表情に、いや違うだろ、と慌ててそれを振り払う。これは、少なくとも、正しいことではない。
「玄関から出ろ!」
「え…だって」
 こっちの方が庭に近いのに、と不平を零すアーシャに、エインレールは頭を抱えた。
「じゃあせめて裏口から…」
「嫌です。そこに行くまでの道、空気悪そうですもん」
 …どうやら、根本にはそれがあったらしい。要するに、空気が新鮮なところから、同じく新鮮なところに行きたいのだ。その間に、あの湿っぽさを挟みたくないのだろう。
「聞き捨てならねえな」
「事実ですよ」
 残念ながら、それについては反論できない。かといって、肯定もし辛かったが。
「…まあいい。さっさといけ」
 諦めたようにハアと息を吐いたウェスタンに、はあい、と至って軽い返事をしたアーシャは、言葉と同じくらい軽い動作で、窓から外に飛び出た。…そうでなくても、慣れているのかもしれない。そういうことをするのに。
 まあ木から落ちるくらいお転婆だったらしいし、といつぞやツベルの地で聞いた話を思い返しながら、唸る。できればそういうことは控えて欲しい。危なっかしくて、怖い。あの時はまだ漠然とそう思っただけだったが、今ならわかる。怪我をして欲しくないのだ。いくら本人が気にしなかろうとも。いや、気にしないからこそ、か。
 気をつけろよ~、と声を掛ければ、わかってますよ~、と返ってきた。本当だろうか。疑心暗鬼で眺めていると、アーシャは突然肩越しに振り返った。
「いってきます」
 エインレールにしたら予想外の言葉に、何も言えずにいると、代わりにウェスタンがそれに答えた。
「おう。あんまり遠くまで行くなよ」
「って、そもそも庭だけですよね、あたしの行動範囲は。なんでそんな言葉…」
「ああ、そのはずだが、お前なら塀飛び越えて勝手にどっか行きそうだからな」
「どういう意味ですか!」
 失礼な、とぷんぷん怒りながら去っていく彼女の背中に、慌てて声を投げかける。
「いってらっしゃい、な!」
 改めて言うと、どこか気恥ずかしい言葉だ。
 振り返ったアーシャの顔が、嬉しそうに綻んでいたので、エインレールの頬も自然と緩んだ。
「…ほーお」
「っ、な、なんだ、よ?」
 そうだ。ウェスタンがいたんだった。
 思わず忘れかけていた存在は、その報復とばかりに、意味有り気に流し目を使ってくる。
「いやあ? べっつになんでもないが、なぁ? なかなか仲良くやってるみてえじゃねえか」
「仲良くなんてっ!」
 照れ隠しで放った言葉は、けれどその瞬間、自分を斬る刃となった。
 仲良くなんて、できるわけがないのだ。本当は。してはいけない、のに。
 一気に沈みきった表情のエインレールを、ウェスタンはただ見下ろす。しばらく、居心地の悪い沈黙が続いた。
「…慰めてほしいのか?」
 その言葉に、びくりと身体が震える。込められているのは、嘲笑だ。
「ハッ、生憎と俺はそんなお優しい性格してねえんでな。テメェのことだろ。テメェでなんとかしろ」
 長年、この城に仕えてきただけのことはある。エインレールが沈み込む理由がなんであるのかを、なんとなく察したのだろう。いや、あるいは全くわかっていないのかもしれない。彼は、そういうことに一切興味が無さそうだ。
 その上で突き放した言葉に、戸惑う。彼の言葉に、どこかしら傷ついている自分がいることを自覚したからだ。
 …慰めて、ほしかったのだろうか、自分は。
 知らず、それを求めていたのか? しかしそうすれば、救われるとでも? それは違うだろう。
 グッと拳を握り締める。
「ああ、そうだ」
 険のある言葉から一転、多少の明るささえ含んだ言葉に、けれど顔を上げるまでには至らない。
「お前知ってるか? 俺が嬢ちゃんに出した宿題」
「…さっき、言っていたやつ、か?」
「そうだ。知らねえだろ?」
 訊いているわりに、決め付けたような発言。なぜ今その話をするのだろうかと思いながらも、それを突っ込むのも今は面倒で、知らない、と短く答える。
「魔法を自分の武器に仕立てろ」
 驚きはなかった。彼女が日頃から魔法を会得しようと奮闘している様は見ていたから。だがそれは、ウェスタンから宿題という形で出されたから、ではないように思う。彼女は、良くも悪くも、他人の言うことを素直に聞く性格ではないだろう。自分が納得していなければ動かない“我がまま”な面を持っている。
 エインレールの表情からそれを読み取ったのだろう、なら、とウェスタンは続ける。
「それをどうして、嬢ちゃんが自分からそれを得ようとしているか、知ってるか?」
「? 強くなるため、だったか」
「何のために?」
 一息つく暇もなく踏み込まれ、たじろぐ。
 そんな動揺を嘲笑ってか、それともそれではない何かを見据えてか、にい、とウェスタンが笑う。
「お前に勝つためだとさ」
「………は?」
 思わずぽかんと大口を開ければ、その反応にウェスタンが更におかしそうに笑う。
「え? だって、あいつは…」
「“あいつは”?」
「だから、その…」
 言葉の続きが見つからない。意味もなくぱくぱくと口を開け閉めしていると、やがてウェスタンも飽きてきたらしい。ぞんざいな態度で、「煮え切らねえな」と吐き捨てた。
「つうか、辛気臭え面してんじゃねえよ。移るだろうが、臭いが、家に」
 あーやだやだ、とわざわざ鼻の辺りで手を振って顔を顰めるウェスタンに、沈んでいたのも混乱していたのも、全て忘れて、思わず頭に血が上る。
「っ、辛気臭いってなんだよ! 大体っ………この家、元からそうだろうが」
「あんだと? もっぺん言ってみろクソガキ」
 両者の間に花火が散る。
 しばらく膠着状態が続き、なんで自分はこんなくだらないことをしているんだろう、とエインレールが疑問を持ち始めた頃に、ウェスタンが顔をふいと逸らし、大袈裟にふうとため息を吐いた。これだからガキは…、という呟きが聞こえる。ああ、これに対する怒りのために自分はくだらないと思われるようなことをしていたのだなと再確認。
 しかし、
「あいつは、」
 その眼差しがいやに真剣だったので、怒りは途端に鳴りを潜める。
「お前のこと、お前が思っているよりかはわかってると思うぞ」
 今だって、と小さく零す。今だって? 窓の方に目をやったウェスタンに釣られて、自分もそちらを見る。もちろん、そこから庭の様子が見えるはずもない。けれど、今しがた出て行ったばかりの彼女の幻影が、一瞬、映った気がして。
 ―――ああ、そうか。
 理解する。二人の妙なアイコンタクトは、どうやら自分と彼を二人にするためだったらしい、と。
「だから、大丈夫だろ」
 ぶっきらぼうに言い捨てられた言葉は、すとん、とその言葉が胸に落ちて。
 不安が少し、薄れた気がする。それでも残るのは、仕方がないのだと、素直に思える。
「で、お前はあいつに負けてやる気なのか?」
 真面目な顔を一変させ、ウェスタンはにやりと笑った。急な方向転換にエインレールは理解が遅れたが、すぐに何のことか気付く。
 返答は決まっていた。
「…まさか。誰が負けるって?」
 にっ、と口元を上げてみせる。彼女には悪いが、勝たせてやるつもりはない。あちらもあちらで大概意地っ張りの負けず嫌いのようだが、その点においてなら、自分も同等なのだ。
 先程の沈みきった表情と比べれば随分と浮上したエインレールの様子に、ウェスタンはふんと笑った。せいぜい頑張れよ。そう言っているようにも見える態度だ。まったく、彼はどちらの味方なのだか…。訊ねればおそらく、
「そりゃ俺は俺の味方に決まってんだろうがよ」
 などという答えが返ってくるに違いないのだが。そんな光景が、容易に脳裏に浮かんでくる。
 それにしても、と向かい側にいるウェスタンを想う。ああ、なんだかんだ言ってこの人は、優しいのだと。
「…ありがと」
 気恥ずかしさから、ぼそりと小さく呟いた声に、けれどウェスタンは反応しない。
「ばーか」
「んだとこのクソガキが」
 途端にギッと目つきを鋭くさせたウェスタンに、エインレールは小さく笑った。
 ―――なんだ、やっぱり聞こえてるんじゃないか。

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