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生きたいと想って。生きたいと願って。だから生きているのだと思えるこの場所で――
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 たんたん、とひどくゆっくりなリズムを取って、いつか歩いた道を辿る。自分にとってはもう数え切れないほど通った道でも、彼女にとってはまだ往復を一度したきりの道だ。珍しいものもあるのだろう、視線がいたるところに向けられているのが隣で歩いていてもわかる。ゆっくり歩いているのはそういうわけもあるし、単に自分がこの時間が長く続けばいいと願っているからでもある。
 自分の役目を忘れたわけではない。
 だが。
「エイン」
 心地よい声に、ん、と返事をする。前よりもずっと甘く、苦しく、響く。それは自分の心境の変化ゆえだろうか。
「久し振りです、ね」
「ああ、そうだな。久し振りだ。…俺は夕食の時にユリティアから何度か話を聞かされたから、なかなかそうとも思えないけど」
「え、話題に上るようなことをしたつもりはないんですけど…あ、あの、変なことじゃないですよね?」
 恐る恐るといった面持ちでこちらを窺う姿に、ちょっと意地悪な気持ちになる。
「変なこと? 花の匂いを嗅いでくしゃみが止まらなくなったこと、とか?」
「あ、あれはそういう種類の花で! そのことを知らなくて! そういう事情があったんですよ!?」
「ああ、知ってる。それも聞いた」
「…………」
 むすっと黙り込んだ彼女に、悪い悪い、とまた頭を軽く叩いてしまう。そういえばこれ、前振り払われたんだっけ、と考えていたら、案の定ぺしっと払われた。その動作に、ズキリと心が痛んだ。…ああ、本当に今の自分は厄介だ。
 いつか同じように、自分そのものが振り払われるんじゃないかと、怯えているのだ。
「…エイン?」
「…ん?」
 呼びかけに、なんとか笑みを灯す。大丈夫。まだ大丈夫なはずだ。笑顔を繕うのは慣れている。ずっとやってきたことだ。それと同じだ。そうだろう?
 アーシャは黙っている。なんだ、ともう一度訊き直すと、彼女はにこりと笑った。
「でもあたし、エインも昔あの花の被害にあって、その日一日くしゃみが止まらなかったって聞きましたよ」
「………ユリティア」
 余計なことを。いや、彼女にそういう意図がないことはわかりきっているのだが。
「その点あたしはたったの三時間ですから!」
「それは良かったな。だけど俺だって、一日っていったって、昼から寝るちょっと前までだから、せいぜい七時間だぞ。当時十歳で」
 お前は十七だろう。そう告げれば、う…、と詰まる。
「だ、だってユリティアが嗅いでみてくださいって…き、綺麗な花でしたし!」
「匂い嗅がせたいと思ってる花の色が毒々しかったら、意味ないだろうが」
「そ、それはそうかもしれないですけど…」
「いい勉強にはなったろ」
「…そうですね。野生の“誘い花”には絶対に遭いたくないと思いました」
 “誘い花”。それは俗称だが、正式名称よりもよっぽどか本質を突いている。
 本当に、花は綺麗なのだ。さぞ匂いも良いのだろうと近寄ってきた別の生き物を騙す。研究用・観賞用、あるいは勉強用に改良が進んでくしゃみ程度で済んでいるが、野生のソレは痺れを引き起こす。そうして自分の匂いが効かないある特定の他種の生き物に、捕えたものの肉を与えて、代わりに種を運ばせる。そういう植物だ。
 幼い頃にそれを習って以来、こいつにだけは何があっても絶対近付かないようにしようと心に決めた。生息地域が限られているのがまだ救いである。だからこそ、一般にはあまり知られておらず、危険なのだが。
「でも、それに対してフォーシガは見るからに危なそうですよね」
 フォーシガ――あの人喰い花か、とエインレールは苦虫を噛み潰したような顔をした。真っ赤な花弁に黄色い斑点をしていれば、そりゃあ見るからに“危険色”だろうが。
「あれは自分がそれだと認識させる前に飛び掛ってくるから、問題ないんだろうな」
「気付かないものでしょうか」
 あんなに派手なのに、という言葉に、なかなか難しい、と答える。あれは派手な蕾を隠すように縮こまって、潜んでいる。対象が近付いてもすぐには襲い掛からない。可能ならばそれらが背中を向けている時を待ち、襲い掛かってくる。
 その辺の事情をつらつらと語っていれば、アーシャが訝しげな顔をした。やけに感情が込められていると思ったのだろう。
「体験者ですか?」
「…十歳の時に」
 あの頃は怖いもの見たさで、森の奥に入りこんだのだ。帯剣はしていたので、なんとか対処できたが、そうでなければ確実にあれの養分となっていただろう。自業自得とはいえ、今でもぞっとする。しかもよく肥えたやつで、当時身長が140程度あったエインレールよりも更に大きかったのだから、もはや恐怖としかいいようがない。
「誘い花も嗅いだんですよね、十歳で」
「ああ」
 そういえばほぼ同時期だったな、と思い起こす。
「…植物難の相でも出てたんですか?」
「どんな相だ、それは」
 笑ってかわしながらも、正直自分でも今そう思ったことは否定できない。
 それらは基本的に、好奇心からくる不注意が原因なのだが。つまり、単に自分から危険に突っ込んでいっていた、という。無知というのは本当に恐ろしい。
 しかし自分も大概だったと思うが、全く止める素振りがなかった家族や知り合いもどうなのだろうと思う。ウェスタンなど、面白そうだからとむしろ嗾(けしか)けたくらいだ。その上、ボロボロになって帰ってくると遠慮・心配のひとつもなく哄笑された。
 不意に会話が途切れる。
 そういえば。
 それによってふと思う。想像していたよりもスムーズに会話ができていたな、と。もっと罪悪感に押し潰されて、まともな受け答えなんてできないかと考えていたのに。それはきっと、自分の精神力の強さとか、そういったものではない。…なにせその逆をつい先日に自覚したばかりだ。
 だからきっと彼女のおかげなのだろう。知らず、何かを悟らせていたのかもしれない。そんなことを考えていたら、自然と彼女の顔を見つめていたらしく、どうかしましたか、と訊ねられた。口元には柔らかい微笑。別になんでもない、とぼんやりした頭で答えながらも、そこから目を離せない。
 あ、と彼女が声を上げる。
「そういえば」
 さっきユリティアと話していたんですけど、と前置きをしてから、少し言い辛そうにこちらを見る。しばらくどうしようかと彷徨っていた視線は、やがて意を決したのか、真っ直ぐにエインレールの目を射抜いた。
「あの、ツォルヴェインとリティアスの…その、え~っと、関係、って、その、…深いんですね!?」
 何故か語尾を強めた彼女の言葉に目を丸くしながらも、そうだな、と肯定を返す。
「元々リティアスはツォルヴェインから独立した国だから。といっても昔話になりかねないほど遠い過去のできごとだから、今じゃ文化もかなり違うけど」
「それでも今でも親交が続いているんですよね。仲が悪いという話も聞かないですし」
 業者さんたちも険悪でないですから、と言う。それは、国境近くで暮らしているアーシャだからわかることなのだろう。
「ま、両国とも悪くなるわけにはいかない事情があるからな…」
「そう、なんですか?」
 きょとんとしたアーシャに、エインレールは曖昧に笑った。つい口が滑って、余計なことまで言いかけた自分を、それで戒める。それ以上深く訊かれる前に、さっさと話題を変えることにした。
「ああ。…それで姫やら王子やらの交換があるんだけど」
 そこまで言って、アーシャの顔が多少強張ったのを見て取る。もしかして、訊きたかったのは両国の関係ではなく、これに関することだったのか。
「…ユリティアが何か不平でも零したか?」
 なるべく優しく訊ねれば、アーシャはふるふると首を振った。
「零さないから不安なんです。それに、」
「それに?」
 促すように訊いた後、戸惑ったままの彼女を見て、急かしてしまったかと焦る。
「う…、えと…」
「ん?」
 宥めるように、頭をぽんぽんと叩く。…またやってしまった。
(…ちょうどいい位置にあるから、つい、な)
 心の中で言い訳する。振り払われるだろうな、と思いながら、それならばせめてその時までは、とあえて退けずにいたのだが、一向にそんな気配はない。別にそれならそれで、嬉しいのだが。
「もし向こうに王女様がいたら、エインが行っていた…んですよね」
 ピタッ、と手が止まる。それをいったいどういうつもりで言ったのか問い詰めたくなったが、なんとか堪えた。手は先程よりもぎこちなく動く。
「そう、だな。まさかラードに押し付けるわけにもいかないし」
「ラードさん?」
 これは知らなくて仕方がないのかもしれない。ラードは愛称だし、なにより彼はあまり表に出ようとしないから。
「ランドリード。弟だ」
 でも、と相手が何を言うより早く、言葉を繋げる。
「実際、そうじゃないから。そうならなかった現在に、俺は感謝するよ」
 だからこそ、お前にこうして会えたのだから。
 こんなこと言うのはユリティアたちに悪いけど、と小さく付け足したのは、けれどおまけのようなもので。
 暗に告白染みた言葉を口にした自分自身に驚きながらも、相手の反応を窺う。思いのほか、彼女は緩んだ顔をしていて、―――少しは期待できるのだろうかと、ドキリと胸が高鳴った。それと共に味わうは恐怖。信頼を得れば得るほど、裏切った時の反動は大きい気がして。取り返しのつかないことになるんじゃないかという暗い考えに取り憑かれそうになる。
 いっそ今は何も思わないでくれ、自分のことなんて。
 そんな卑屈な考えさえ浮かんで、エインレールはそれを打ち消すように頭を振った。
 本当に。
 どうかしている。
 何が“どうかしている”のかもわからないくらいに、自分は。
 溺れている。
 この光と闇が鬩(せめ)ぎあう中で。
 好きなのだとは気付いたがまさかここまでとは、と自分自身に苦笑した。
 たかだか数日前に出会った、ただそれだけの存在だ。もっと軽いものだと思っていたのに。
 あるいは一目惚れだったのかもしれない。初めはただ、自分の目の前で轢死などあまりに気分が悪いという自分本位な考えだけであったはずなのに。その朱が自分を見た瞬間から、自分はきっとそれに囚われていたのだ。
 そしてそれは自分の意志とはまったく別のところで徐々に強さを増している。
 混沌の中、身を委ねるべきか、もがくべきか、それすらも迷うほどに。


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