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生きたいと想って。生きたいと願って。だから生きているのだと思えるこの場所で――
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 二度目の返還式は、無事に行われた。
 アーシャに集まった視線には、前に向けられた値踏みするような視線ではない。好意的なものと、明らかに敵意を含むもの。それから媚を売るようなものに、観察するもの。大きく分けてその四つだ。一つ目が明らかに少なく、あとの三つはちょうど同数程度だろうか。
 気にするものか、とアーシャは胸を張った。前回は後ろめたさがあったが、少なくとも今は、この国に牙を剥く存在ではないと、誇れる。
 参列者の中に、クリスティーの姿があり、その明るく勝気な表情から、ああ元気になったのだな、と思う。そういえば、初日以降、彼女自身には会っていないのだ。彼女はアーシャの視線に気付き、にこりと可愛らしく笑った。引っ掛かりは、もう感じなかった。
 その近くに、エインレールもまた立っている。彼はアーシャが目を向けるよりも先にこちらを見ていたらしく、すぐに目が合った。優しく細まった瞳に安心感を覚える。―――それから、胸の高鳴りも。
 ある瞬間から、自分は少し変だ。
 彼が無事に目を覚まして、心の底からほっとした瞬間から、何かが変だ。
 癖なのか、よく頭を叩いたり撫でたりするその行為が、まるで子供にやるようだから嫌いだったのに、その温かさに少し安心するようになった。そのくせ、どことなく落ち着かなくて気恥ずかしい。
 視線が絡まったって、それは当然のことでどうということもないものだったのに、今はこんなにも嬉しい。
 自分はあの日から、何かが少し変なままだ。
 アーシャはその感覚を、知っていた。いつか、自分が別の誰かに抱いた想いと似ていた。その時のそれは、恋だった。ではこれはなんだろう。同じものだと認めることを、今はまだできない。だから目を瞑る。放っておいても、いつか直視することができよう。それは今早急に答えを出すべきことではない。
 たとえ、目の前の彼女を送り届けた後、この関係が終わるとしても。
 それでも今は、まだ、いい。
 今ではいけないのだ。と何かが告げている。今はまだ足りないから、いけないのだ。
 だからこのままで。
 意識がスッと闇に沈む。気付けば、返還式は終わっていて、目の前には紅茶があり、自分はその前に据えられた椅子に腰を下ろしていた。前には華美なドレスから簡素な部屋着のドレスに着替えたユリティアが、にこにこと笑いながら紅茶を嗜んでいる。
「……………」
「アーシャさん、どうしたのですか?」
 ぼんやりとしたアーシャに気付き、ユリティアが小首を傾げた。お疲れでしょうか、と心配げに問う彼女に、アーシャは慌てて首を振った。
「ち、違う。ただちょっと…天気がよかったから、ぼうっとしちゃった。ごめんね」
「そうでしたか。確かに、お天気がとてもいいですものね。ぽかぽかで、眠たくなってしまいます」
「そんなユリティア様も可愛らしいですわ」
「そ、ソフィーネ! あああ貴女は少しは自重してくださいっ!」
 侍女同士のやり取りも、いつもどおりだ。
 ふっと笑みを浮かべ、そういえば、とアーシャはユリティアに向き直った。
「一週間後だっけ、出立は」
「はい。しばらくはこちらに戻ってこられませんから、寂しいです」
 にこにこ笑顔で言われて、いったいどの程度本気なのか、わからない。いや、彼女が本心からそう言っていることはわかるのだが。
「アーシャさんとも、あちらに着いたら、なかなか会えなくなってしまいますね」
 それも哀しいです。にゅう、と眉尻を下げたユリティアの言葉に、アーシャは少しの間、黙った。
 自分は、彼女の親兄弟とは勝手が違う。“なかなか会えない”? 一生会えなくたって、おかしくないのだ。
 それは確かに、哀しいなと思う。だからこそ、また会えるよ、とは軽々しく言えなかった。
 ユリティアはしばらくの間心痛そうな顔をしていたが、すうっと胸の前で手を組んで、いつもどおり朗らかに笑った。
「ですから私、アーシャさんがエインのお兄様とご結婚されることを、心待ちにしております。式典にはぜひ招待してくださいませね」
「し…!」
 しない、と声を荒げようと思ったが、ユリティアがあまりにも嬉しそうだったので、口を噤んだ。後ろのソフィーネの圧力によるところも、無きにしも非ずであったが。
「ねえアーシャさん」
 ユリティアの瞳がきらきらと輝いている。
「エインのお兄様の、どこを好いておられるのですか」
「ど、どこって…」
 そもそもあたしは別にそんなんじゃない、いや嫌いかと問われたらそうでないと答えるけどだからってそういうことではなくて。心の中で存分に反論してから、諦めて口を開く。別に、恋愛感情云々関係なく、彼の好ましいと思う部分を口にすればいいだけの話だ。しかしいざ言葉にしようとしたら、困ってしまった。
 エインレールの、好きなところ。
 口を開けたまま、結局一言も言葉を発せられない。不思議そうに目を瞬かせるユリティアに、苦笑を返した。
「…改めて考えると、わからないかも。でも、感謝してる。…本当に、とても」
 彼が自分に手を差し伸べてくれたこと。彼と出会えたこと自体にも。全てに。
 きっと自分はいつの間にか、彼という存在に救われていたのだと思う。この場において、自分はきっと、だから、彼を信頼している。
「素敵ですね」
 ユリティアが嬉しそうに頬を染めた。
 あくまで今は仲間としてなのだけれど、とは心中に留めておく。他の誰かならまだしも、ユリティアにこんなに嬉しそうな顔をされたら、水を差すことはできなかった。
 それでもこのままこの話題で話を進めることはできなかった。アーシャは返還式で見かけた少女のことを訊ねる。
「クリスティーさ…ん、の容態はどうなんですか? お昼に見掛けた時には元気そうでしたけど」
 敬称を無理に親しげに変えたのは、そうすると何故かユリティアが悲しむだろうということがわかったのと、それを知っているソフィーネが先程とは比にならない笑顔の圧力を掛けてきたからに他ならない。
「はい。もうすっかりよくなりました」
 ユリティアはそんな周囲の考えには一切気付いた様子もなく、嬉しそうに語る。
「この前なんて、お医者様も追い返そうとしてしまうくらいでした。クリスティーはお医者様が好きではないのです。何故かしら?」
「きっと注射が怖いからですわよ」
 ソフィーネが適当なことを言う。あまりにも自信満々なものだから、アーシャも思わず信じかけたが、いやいやまさか、と思い直す。
「でもまだ安静にしていなくてはいけないそうです。本調子ではありませんから。あまり部屋から出ないようにと言われたそうです」
 それは、健康状態以外での意図も含められているのではなかろうか。エインレールと共に、偽物の彼女を見た時のことを思い出す。確か、脱走がどうのこうのと話していた。
 ベッドで一日過ごすというのは、確かに退屈そうなので、仕方ないかもしれないけれど。アーシャは自分の行動に当てはめて結論づけた。自分でも、まず間違いなく脱走を図るだろう。ああ、もしかして医者が嫌いなのも、そこが絡んでくるのだろうか。嫌いというより、脱走を図るには邪魔だ。定期的に来られでもしたら、脱走したことがすぐにバレてしまう。
 そんなことを考えながら、アーシャはユリティアに笑い掛けた。
「見送りの日までには許可が出ているといいね」
「はい! 別れ際にも、ぜひお話したいですもの」
 別れ、か。
 自分はなんにせよ、一度ツォルヴェインの城に戻ってくることになるだろう。すぐにここに出ることになるとしても、一応世話になった者に礼は言っておきたい。
 ―――未練は、それだけのはずだ。
 目を閉じ、ゆっくり息を吐く。
「それじゃあ、あたしはそろそろお暇するね。マティアさんに呼ばれてるの」
「この時間から練習ですか?」
 ユリティアの眉が八の字になるのを見て、アーシャは慌てて頭と両手を横に振り、否定する。
「練習ではないんだけど、話があるんだって」
「そうなんですか。でしたら、お待たせしては申し訳ないですね」
 言いつつも、少し名残惜しそうではある。
「見送ります」
 優美な動作で椅子から立ち上がったユリティアに、いいのに、とアーシャはますます慌てた。
「見送らせてください。扉の前まででいいので」
 どこか必死な形相のユリティアに、思わず頷けば、ぱっと花が咲くような笑顔が浮かぶ。
 そんな彼女と、彼女の付き人に見送られ、やがて角を曲がり彼女たちの姿が見えなくなったところで、アーシャは口を開いた。
「やっぱり、不安なんだよね…」
 いくらいつも明るく、朗らかに見えたとて。一切不安を感じていない人間など、いやしない。まして自分が狙われる身となれば、尚更だ。
 キントゥも沈痛な面持ちで同意した。
「まだ15歳でいらっしゃいますもの」
「………キントゥ、貴女は?」
 へ、と顔を上げたキントゥが、不思議そうに目を瞬かせる。アーシャは、歩きながら彼女を横目で見る。
「あたしはユリティアの警護のために、リティアスまで着いていく」
「存じております」
 キントゥは頷いて、それから更に口を開こうとしたアーシャを制し、言い切る。
「私はアーシャ様の侍女ですもの。着いていきますわ」
 ここに残ってもいいんだよ、と続けるはずだった言葉が、その強さに封じ込められる。
「お城に残っていた方が安全だよ。どの道あたしは、…ユリティアの件が落ち着いたら、この城から出ていく予定なんだから」
「なら、私はそこにも着いていきます。アーシャ様に仕えると決めたのですから」
 意外と強情だ。アーシャは眉を寄せた。普段、特にソフィーネにからかわれている時はあんなにおどおどしているくせに。
「キントゥ、私は貴女はここに残るべきだと思う」
 ツベルの地は、田舎だ。キントゥは見るからに、いいとこで育ったお嬢様だろう。とてもじゃないが、あの環境に耐えていけるとは思わない。それに彼女には、わざわざそういった生活に付き合う義務もない。
 キントゥは、ぴたりと足を止めた。
「わ、わたしは…」
 数歩。進んだところで、振り返る。彼女は俯いて、けれど視線だけは時折こちらをうかがっている。
「私は、そこでは、アーシャ様のお力にはなれませんか?」
 その問いに、本気の色を感じた。アーシャは一拍間を空けてから、応える。
「うん、なれない」
「………わかりました」
 キントゥは、ぐっと唇を噛みしめた。それからふっと笑う。
「で…でもアーシャ様がリティアスからここに戻るまでは、私の主はアーシャ様です。精一杯、お仕えします」
 泣きそうな顔に、アーシャは、うん、と小さく頷いた。ありがとう、と。口にするにはあまりに手前勝手である気がして、結局言えずじまいだ。
 自分は。
 もっと簡単に、もっと単純に、ここから離れていける予定だった。
 いけるものだと、思っていた。
 すう、と目を閉じる。浮かぶ顔に、苦い笑いがこみ上げる。
 自分の中に、彼らの存在があるように。存外、彼らの中にも自分は大なり小なり、根付いてしまっていたのかもしれない。
 それは時として嬉しいもので、時としてひどく残酷なものなのだと、知った。
(………きつい、な)
 あと何度、これを繰り返すだろう。
 その度に、自分は揺れる。それでも最終的に選ぶのは、自らが育ったあの地だ。
 浮かんだ顔の最後に、一番初めに自分に手を差し伸べた青年の顔が映る。
 抱く想いを、あえて定めぬ想いを、向ける相手の顔が。

 ―――その揺れに耐えるのは、おそらく最もきついだろう。

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