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約束は、意外にもすぐに取り付けることができた。
向こうとしても、事前に話しておかなければならないため、時間を取っていたのだろう。
拍子抜け、という言葉が頭に浮かんだ次に、ゾクリと背筋が粟立った。
本当に自分は、あの笑顔が苦手なのだ、と思う。読めない、というわけではない。何かよからぬことを考えている時の空気を読むくらいのことはできると自負している。いや、だからこそ、怖いのか。
マーフィンという人物は、きっと、その“よからぬこと”を隠す気が無いから。
………なんなのだろう、味方なのに、対峙する度に追いつめられているこの心境は。
がっくりと肩を落としながら、トントンと扉を叩く。
返事より先に、扉が開いた。
「どうぞ」
ニコリと笑う顔に、ありがとうございます、と返して、部屋に入る。一歩後ろに、キントゥが続く。
手に書類を持っているところを見ると、仕事中だったのだろうか。…無理もない。彼クラスとなれば、この時期、多忙でない方がおかしい。それにしたって、彼は他人にそれを見せつけるようなタイプでもない気がする。逆に言うと、それほど仕事に追われている状況なのだろうことがうかがえた。――と断言できるほど親しい仲でもないので、真相のほどは不明であるが。
「すみませんね、散らかっていて」
「お構いなく。…それに、そんなに散らかってもいないですよ」
言って苦笑を浮かべる顔に、失礼かと思いながら部屋を見回す。机の上も、物こそ乗ってはいるが、綺麗に整頓されていて、散らかっている、とは真逆の印象しか受けない。そう感じるのは、もしかするとマティアやヒューガナイトの部屋を見慣れたおかげもあるのかもしれないが。
「どうぞ、こちらへ。…早速ですみませんが、話を始めても?」
「はい、お願いします」
返せば、それでは、とマーフィンは遠慮も容赦もなく説明を始めた。
彼の説明は、簡潔でわかりやすい。
何時頃出立し、到着はいつ頃になるのか――あるいは、“なるべき”なのか。隊の編成、アーシャが就く場所、それから着いてからの動きを把握することができた。
「基本的には、ユリティア様と共に行動していただきます」
護衛目的なのだから、それは当然のことである。表向きは侍女として従う形だ。キントゥもユリティアの侍女として動くことになるため、ユリティアの“お世話”をするのは、ソフィーネに、アーシャとキントゥの三人となる。
ソフィーネは本来の仕事―ーつまりユリティアの侍女としての仕事を主に行う。アーシャは敵襲の際の護衛。キントゥはアーシャの補佐。といってももちろん襲撃に遭った時での補佐ではなく、侍女”としてのアーシャを補佐する形だ。
マーフィンはその際、キントゥに「人前ではアーシャ様のことは、様付けで呼ばないようにしてください」と釘を刺していた。なるほど、そのあたりの事情にも精通しているらしい。キントゥはガチガチの表情で、ハイッと元気よく返事をした。大丈夫だろうか。
移動手段は、馬車となる。アーシャは、ユリティアの馬車のひとつ後ろに用意された馬車に乗り込む。
「馬車が襲撃される危険性は…」
「十分ありますね。ソフィーネ嬢が同乗するので、問題はないでしょう。ユリティア様の安全のために、最も冷静に、最も的確な判断を下せるのは、彼女でしょうから」
確かに、彼女なら、敵と味方両者を斬り捨ててでも、ユリティアの安全だけは何がなんでも守るだろう。その光景はいとも簡単に想像できた。
「それに、彼女は多少の武術の心得がありますからね。少しの間なら持ちます」
「え…そうなんですか」
初耳だった。キントゥも同じだったらしく、顔を見合わせてぱちくり目を瞬かせる。
それから、豊満な体躯と妖艶な美貌を兼ね備えたソフィーネがなんらかの武器を振り回す姿を想像し、首を捻る。しっくりこない。浮かべる武器を間違えたのか。鞭とかなら似合いそうな気がする。そんな勝手なことを考えていると、マーフィンが「私も一度だけ見たことがありますが、あれなら大丈夫でしょう」と言い切った。彼が言うということは、それなりに形になっているのだろう。
「ともあれ、護衛の要は貴女ですからね。期待しています」
ニコリ、と笑う顔に、なんとなく威圧感を覚えた。うっ、と詰まる。怖い。
「特に国外に出てからは、気を引き締めなくてはいけません。一気に手数が減りますからね」
「…それは、途中までマティアさんがついてくる、ということと関連していますか」
そっと言葉を投げかければ、よくわかりましたね、とアーシャが知っていることについてはさして驚いた顔も見せずに笑みを深める。
「予防策です」
マーフィンは言って、自分の指を二本立てる。
「まずもって護るべきは、ユリティア様に、クレイスラティ様」
あの王様に護衛が必要かどうか、怪しいところがありますけどね。とマーフィンがサラリと言い放った。確かに、そんじょそこらの用心棒よりかはよっぽどが腕が立つだろうから、護衛がいても邪魔だと斬り捨てそうだ。何より彼には影が付いている。
「ただ、城には王家の者が他にもおりますから、城の警備も、警戒を怠るわけにはいきません。こちらはグリス隊長が先頭に立ちます」
内容の割にマーフィンの顔に不安が一欠けらも見えないのは、彼の個性か、それともそれほどにグリスを信頼しているのか。
そんなことを思いながら、それがどう先の話と繋がるのかを考えた。
マーフィンはアーシャをうかがうように、その顔を見ている。
これは応えないといけない。直感的に理解した。
言葉を選んで、口を開く。
「第一に優先されるお二方とは別にもうひとつ、護衛………いえ、警戒、といった方が正確ですね。それをしておかなければいけないのが、ツベルの地、ということですか」
途中まで手数が多く、国を出た途端に減るのであれば、それが適当だろう。ツベルの地が国境付近にある。それを超えた先が、リティアス王国だ。
「なぜ、そうする必要があるのでしょう」
「表向きは魔獣の動きが更に活発化したため」
嘘ではない。キューちゃん――イオペガ種の伝鳥の名は、結局これに落ち着いた――を介した故郷とのやり取りから、現にここ数日、魔獣の出現、狂暴化の現象が起きていることは事実だ。アーシャの耳にも入るくらいなのだから、王の耳にももちろん入っていることだろう。
「裏の目的は、あたしの裏切り防止、ですね。ツベルの地に既にツォルヴェイン王国の兵がいる時点で、人質は確保されていますが、もしその状態でなお襲撃に遭った場合、あたしに迷う要素を与えないための策です」
眉を寄せたのは、それを戦略とも優しさとも言い切れないもどかしさからだ。
提案したのは、王か、…それともエインレールだろうか。
「そこに配置されるのが、マティアさん、ですか」
なるほど。確かに自分が“信頼”を置いている人物だ。そう思っていれば、マーフィンはフッと笑った。
「………間違ってました?」
「いいえ。ただ、貴女は変に曲解して物事を捉える傾向がありますね。別にそれを悪いとは言いませんし、私自身“そう”ですが…」
可笑しそうに、マーフィンは続ける。
「単純に、貴女に余計な心配をしてほしくないから、…安心させたいから、とは考えられませんか」
「それは、」
目が泳ぐ。即答できない。
「その方が、喜ぶと思いますよ。…まあ、そうでなくても受け止めてしまう器ではありますが」
―――誰のことを言ったのか、訊かずともわかる自分が憎い。
途端にむず痒さが襲ってきて、居心地が悪くなる。
「………以上、ですか。お話」
「いえ、もう一点」
さっさと話を畳んでしまおうと口にした言葉が、最終的に自分の首を絞めた。
「エインレール様も、当日、ツベルの地まで同行します。ツベルの地の警護の第一人者は、エインレール様ですからね」
―――裏切らせないための努力は、最大限にするつもりだ。
不意に、彼の言葉が蘇った。やけに鮮明に。
「………………」
無言になったアーシャを訝しんだキントゥがそっと主の顔をうかがった。根が素直すぎ、かつどちらかと言わずとも鈍感である彼女は、ソレをそのまま口にした。
「ど、どうかされたんですか、アーシャ様、お顔が真っ…―――あ、アーシャ様!?」
立った拍子に大きく動いた椅子を、ありったけの矜持で丁寧に直し、そのまま逃げるように部屋を出る。――いや、実際逃げたのだが。
まるで自分の侍女のどもり癖がうつったかのような口調で、なんとか礼の一言だけは述べた。
「し、失礼します!」
キントゥが黙って、けれど雰囲気だけで「心配だ」と伝えていることを隠さないまま、自分の後ろをついてくる気配を感じる。
その足跡が時折パタパタと駆けるようになるのに、部屋を出て数分経った頃、ようやく気付いた。足を動かすスピードを落とす。
それでも、心臓がばくばくと波打っていることは、隠しようもなかった。
部屋に入ったところで、キントゥに下がって欲しいと告げる。彼女は一瞬迷う素振りを見せたが、次にはペコリと一礼して部屋を後にした。―――そこでようやく崩れ落ちる。ふかふかのベッドは、アーシャの身体を柔らかく受け止めた。
………自分はいったい、いつから。
いつから、キントゥに――本来なら自分よりずっと上の身分である者に、「下がれ」などと命令口調でものを言えるようになったのか。
苦し紛れに、そんなことを考えた。けれど結局はその思考の先にも――きっとソレでなくたって、今自分が持つどんな話題の先にだって、彼がいることに気付き、考えること自体を放棄した。
―――ツベルの地を警護する、その第一人者が、エインレールであるという。
その事実が、自分にひたすらの安堵感をもたらすなんて。
彼は、知っていてそれをしたのか。それとも、言ったからには自分が、とでも思ったのか。
目を閉じる。
考えることは、先程放棄した。だからこの先も、考えない。考えたりできない。
だけれども、ひとつだけ本音を零すなら。
「………エインでよかった」
放ったぽつりとした言葉が、広く静かな部屋に響く様を、黙って見ていた。