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決行は、二日後。
アーシャは静かに目を閉じる。大丈夫。自分は、やれる。
やると決めてから、もう何度も、その時の情景を、思い描いている。大丈夫だ。きっと上手くいく。ツベルの民の命は、誰ひとりとして奪わせない。
自分は、やれる。
もう何度目か呟いたソレは、どうやら気付かぬ間に口に出してしまっていたらしい。
「ホントかよ」
ニヤニヤと厭らしい笑みは、闇の中にあってなお、はっきり見える。それがどうにも不愉快だ。
冷たさのみが残る視線をそちらについと送る。黙れ、と言外に伝えたつもりであったが、相手には届かなかったようだ。あるいは、意図的に無視されたのか。
「怖ェなあ、もうちっと愛想よくしろよ、なにせ仲間なんだからなア」
「黙りなさい」
我慢ならずに、今度ははっきり、声に出して拒絶する。
「私は私の民を守るために、貴方に一時的に協力しているだけです。仲間になったつもりはありません」
かわいくねーなア、と笑う声は、不満そうな響きを持ちながら、どこか下卑た愉悦が含まれているように感じられた。
「そんなコト言わず、仲良くしよーぜ? どうせテメェにゃもう、ココに仲間と呼べるヤツぁいねェんだからよ」
「っ………」
動揺が走ったのは、一瞬。
しかしそれを見逃してくれるほど、相手は甘くなかった。
フンと馬鹿にするように鼻で笑う。
「こっちにまで切り捨てられたくなけりゃ、せいぜい俺に媚を売っておくこったな」
ぎろりと睨む頃には、ソレの気配は既に消えていた。
「明後日…」
大丈夫、大丈夫だ。
アーシャは、自身に信じ込ませるように、何度も何度も、呟き続けた。
周りは、既にお祝いムードである。
なにしろとてもめでたいことだ。
城下町だけではなく、城内にまでその雰囲気が溢れているのは、襲撃がたった一度きり、しかも死者が出ないというだけのもので、その後何も起こっていないという安堵感があったからかもしれない。ともすればそれは、“油断”という言葉と置き換えられるものだが、果たしてこの浮ついた状態で、そのことをはっきり認識しているのは、如何(いか)ばかりか。
そして―――時はただひたすらに、何事もなく、同じ速度で進む。少なくとも、上辺では。
「いいわね」
凛と響く声。
「いいわね、――――」
大切な人が、自分の名前を優しい声で紡ぐ。思わずうっとりして、見つめる。その人の肩越しに、大きな白い月が見えた。
「これは、貴女がもっと大きくなった時まで、大切にしまっておくの」
「大切に、大切に。誰にも見つからないように、隠しておくのよ」
歌うように紡がれる言葉に、うとうとしながら、必死で頷く。それは軽やかな言葉だったが、同時にとても大切で重大で、重さを孕んだものだということを、どこかで理解していたためか。
「そうして貴女が、貴女だけの王に出会ったその時に、貴女の王を支えたいと思ったその時に、そうっと開くの」
王。自分だけの王。
その言葉に、どきどきと胸が高鳴ったのは、きっと本能。
「それが、貴女の役目。しなくてはいけないこと」
やくめ、と復唱する。なにか、よくわからない。どこか、しっくりと来ない。
少しばかり眉を寄せた自分の姿に、彼女はふっと笑った。
「今はわからなくてもいいの。いずれ自然と、わかるでしょうから」
優しい声と同じくらい、優しい温度を持った手で、髪を梳かれる。
「だって貴女は――――なのですから」
なんと、言ったのだったか。
どうしてか、その部分だけが消えている。
聞こえなかった? いいや違う。聞いていた。聴いていた。だってその時自分は、訊き返したのだから。
それはなあに、と。
だから知っているはずなのに。
それなのに、どうしてその部分だけ、消えてしまっているのか。
戸惑いが生まれ、どんどんと膨張して、別のものに成長していく。
知らなければいけない気がした。それを、自分は、どうしても知っていないといけない気がした。
「だからその時までは、ゆっくりおやすみなさい。わたくしたちの可愛い子」
そのフレーズに、何度も聞き覚えがあった。
それを聞くと、急に眠くなるのだ。おやすみ。おやすみ。繰り返し、響き渡る。憶えておきたいのに、抜け落ちる。落ちていく瞼の間から、自分に伸ばされる白い両手が見えて―――
「――――っ!」
起きた。
はっ、と荒い息を吐く。
とても重要で、ひどく大切なものだった気がする。わからないけれど、そんなものだった気がする。
そんな夢を。
どうしてこんな日に見るのだろう。こんな―――…不意に小首を傾げた。
「あれ…あたし今、なんの夢を見てたんだっけ…」
少女――アーシャはしばらく、ぼんやりと虚空を見つめた。
やがて夢を見ていたことまで忘れた頃に、ようやく行動を始める。ついと窓をの外を見た。
今日は、決行日。
ユリティア・ヴェイン・シャインが、王位継承権を返還する日だ。
天気は快晴。
彼女を祝福するかのような青色が広がっていた。