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生きたいと想って。生きたいと願って。だから生きているのだと思えるこの場所で――
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 同僚と上司(=父親)がそんな会話をしていることなどこれっぽっちも知らないセィランは、もはや見慣れたスティ家の屋敷の前で、ふう~、と大きく息を吐いた。それから今度は大きく吸う。吐く。吸う。吐く………それを何度も繰り返したところで、ようやく再び前を見据えた。
 あの時開き直ったはずだというのに、いざ目の前にすると、後悔の念に駆られて、逃げ出してしまいたくなる。その方が絶対に楽だろう。今後がどうあれ、少なくとも、今は。
 セィランをその場に留めたのは、つい先日の父との会話であった。自分で見つけると大見得を切ってしまったこともそうだが、それ以上に、父に誰かを紹介されるというのは絶対に嫌だった。あの人のことだから、本当に考えて考え抜かれた人物を提示してくるのだろうが、それでも嫌なものは嫌だ。媚を売るためではないのなら、尚更。―――断りにくいから、困る。
 そんなことを考える自分に対し、「媚でないのなら別に良いのではないのか。何故嫌なのか」とまた疑問を覚えたが、放置した。
 よし、と気合を固め、一歩踏み出したところで、
「ああ、こんにちは」
 その声に、思わずびくりと肩が震えた。
「あ――す、スティ伯爵。お久し振りです」
「そうですな。あの舞踏会以来ですから」
 人好きのする笑顔に、少し安心した。たとえ彼がどこまで広いのか知れない情報網をそこらに張り巡らせている人物だとしても、この笑顔にはどうも警戒心を削がれてしまう。
「申し訳ありません。こちらには度々伺っていたのですが、挨拶できずに」
 しようとは、したのだ。しかし行く度に出掛けていると言われてしまい、いっそこれは嫌われて避けられているのかとさえ思っていたのだが。
「いえ。この頃はなにかと忙しかったものですから。こちらこそ、申し訳ありませんでした」
 それに、と続けられる。
「私なんぞの相手をするよりも、娘と話がしたいでしょうし」
「いっ――え、そん、なことは…!」
 思いがけない攻撃に動揺し、言葉が変に上擦った。思わず目を泳がす。
「ところで、パートナーはどうされるのですか?」
 何の、とは付かない。けれどそれが何を指すのかは明白だ。その言葉に、単に探るという意味が込められているのではないことは、確かだった。噂以上の意味を秘めていることも。わかっているのだ。わかっていて、訊ねている。確かに、想像がしやすいことではある。なにせ、度々この場所を訪れているのだ。そういう目で見られることは、ある種当然のことと言えた。
 しかし、それとこれとは話が別である。しかも相手は―――。
 混乱が絶頂に達したセィランを前に、くすくすとダッカル・スティは笑ってみせた。それで理解する。完璧にからかわれている、と。ただそれがわかったところで、この顔の火照りをどうにかすることは無理なのだが。
「しかしなかなか面白いですね。“気付いた”のがほんの数日前、なんて」
 だからどこでどうやってそういう情報を仕入れてくるんだ!
 わけがわからない。その情報網は思っていたよりもずっと広そうであった。前に彼の娘が言っていたことを思い出し、その真意を理解する。薄ら寒い気分に襲われた。
 ひょっとしたらこの人は、自分の心の奥底までも知っているんじゃないかという錯覚に陥る。そんなはずはないと否定してみたところで、その不安は拭えなかった。
 しかしそれすらもこの人好きのする笑顔を向けられただけで緩和するのだから、ひょっとしたら一番に恐ろしいのは、この人の持つ笑顔の魔力かもしれない。
 息をゆっくりと吐く。落ち着け、と唱えた。落ち着け、自分。この程度で―――まだ相手に悪意を持って接しているわけでもない、“ただの好奇心”レベルの問い掛けで、仮にも次期宰相候補である自分が参ってどうするというのだ。いや、例えそこに悪意が隠れていたとしても、ここでハイサヨウナラと引き下がるつもりも毛頭ない。まだこの意味すらも、わからないけれど。違う、わからないから、だ。それを確かめるために、ここに来たのだ。
 全ては彼女に会うために。
 意を決し、相手を見据えた。「おや?」という顔をしたダッカルだったが、次にはその表情を柔らかくさせ、
「娘を、お願いします」
 何の脈絡もない――というわけではないが、それは明らかに突然の台詞だった。は、とセィランは珍しく呆けた顔を表に出した。
 どういう意味かと訊ねる前に、ダッカルはちろりとセィランの肩越しに視線を“彼女”へ向けた。小さくウインク。
「―――っ、父様!」
 耐え切れずに、彼女は声を上げる。何をやっているんだこんなところで、と言われたダッカルは、やれやれと肩を竦めた。
「ここは私の家だから、私がここにいることを責められてもちょっと困るね」
 それじゃあ邪魔者は消えようか。いつものように、にこりと笑う。セィランとのすれ違い様、ですがね、と囁かれた。
「この物語に魔法使いは登場しない。彼女は魔法に掛からない。掛かりたいとも思っていない。少なくとも今は、ね。だから…そう、きっと彼女に魔法を掛けることが、“王子様”がまず初めにやることだろうと、私は思いますよ」
 弾かれたように彼を振り返る。
「それでは、私はこれで失礼させていただきます。ミウラナも、またね」
「最初からいなければ良かったのに!」
 ダッカルの挨拶に、ミウラナ・スティが怒りを見せる。何があったかは知らないが、どうやら二人は今現在、仲良く話をするという立場にはいないらしい。というより、ミウラナがダッカルに対して一方的に怒っているというのが、客観的に見た状況だった。元々仲良く喋るというのはあまり見ない光景であるが、こうしてあからさまに相手に怒りを向けるというのは、初めてだ。
 それにしても、とセィランは己の気持ちの変化を思い、笑った。
 会うまではそのことに多大な緊張を持っていたにも関わらず、いざ彼女に会った途端に、綺麗さっぱり消え去っている。いや、正確に言えば、少しは残っているのだ。しかしそれは、心地よくさえ感じるものであった。逃げ出したい、という想いよりも、話がしたい、という想いの方が強かった。
 けれど何を話そうか。第一声が出せないでいるセィランに、彼女の声が掛かった。
「ああ、セィラン様、久し振りですね」
 久し振り、といえば、そうかもしれない。それでも他の者よりもよっぽどかよく会っているだろう。無論、そこには毎日顔を合わす家族や同僚のことは含まれていない。
「お久し振りです。…お父様とは、何かあったのですか?」
 突っ込んだことを訊いたかと、口にした直後に悔いたが、彼女の顔は不快そうに顰められたものの、それは実の父に対しての感情のようで、セィランに対しては無いらしい。不謹慎ながら、ホッとする。
「そうなんですよ、もう! いつからだったかは…忘れましたが…とにかく、煩いんです!」
「煩い?」
 彼はそこまでしつこく、娘に何かを言うようには見えないが。首を傾げたセィランの疑問に気付いたのか、ミウラナはばつが悪そうに肩を竦めた。
「普段はそんなことないんですよ。うざったいことに変わりはないですが」
 そこで言葉を切り、眉を寄せた。どうやらその“煩い父親”に言われたことを情景つきで思い出したらしかった。
「隣でぼそぼそぼそぼそと………しかも中身は大して変わってなくて、おんなじようなことをぶつぶつぶつぶつ……まさかボケが始まったんじゃないでしょうね、あの人。若年性? 勘弁して欲しいわ」
 声にするごとに、纏う怒りが大きくなっていっている気がする。いや、おそらく気のせいではない。声はだんだんと小さく、低くなっていく。これはまずいと、慌てて話を遮った。
「な、何の話だったんですか?」
「へ?――あ、ああっ、すみません!」
 ぼんっと顔を赤くさせた。どうやらぼやいているうちに、セィランがいることを忘れてしまっていたらしい。しかしそんな風に謝らずにそのまま質問に答えていれば、それがばれることもなかっただろうに…。
「ええと…そう、その話の中身、でしたっけ? たしか…来月のパーティーがどうのこうのと。来月というと、エルバータで開かれるパーティーのことでしょうね。お偉い方々が集まるからって、近頃の話題は専らそれのようですし。招待された者を見る嫉妬と羨望が混じった目なんて、まったく恐ろしいですよ。どちらかといえば、嫉妬の方が多いですしね。ほんともう馬鹿らしい。それだけでも腹立たしいのになんだってあの人、私の隣でその話をするんでしょ。大方それ関係で情報が飛び交って、しめしめって顔をしてるんでしょうが」
 ぶつくさと語られるそれを、セィランは途中から聞いていなかった。というか、来月のパーティー、やら、エルバータ、やらの単語が飛び交った時点で、ぴたりと硬直していた。そろそろと後ろを振り返ったが、もちろんそこにダッカルの姿は無い。
「そうそう、セィラン様もそのパーティーに招待されているんですよね。大変そうだし面倒……じゃなくて、光栄なことですよね」
 あきらかに“大変そう”“面倒”の部分に同情が混じっていて、次に付け足された言葉が白々しく響く。そういえばこの女性、パーティーというものがそもそも好きではなかったのだっけ。セィランはふと遠い目をした。これは自分の気持ち以前の問題かもしれない。なんだかよくわからないが、初っ端から挫けそうだった。
「ええ、まあ。各国の方々とお話する良い機会ですから」
 その前にまず、問題が浮上しているんだけど。とは言わない。むしろ、言えない。
 そうですよね、とうんうん頷くミウラナは、何も考えていないのか、お気楽に笑っている。自分が当事者ではないと思っているからこそだろう。それがなんとなく悔しい。彼女はそんなセィランの気持ちなどには全く気にした様子を見せず、そうだ、と手を打ち、
「こんなところで立ち話はなんですから、どうぞ中へ」
 何も気にしていなさそうないつもの笑顔で、招いた。

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