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生きたいと想って。生きたいと願って。だから生きているのだと思えるこの場所で――
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(また妙なところに建てたもんだ…)
 交通量の多い…とはいえ大通りと比べたら随分と少なく、決して店が芳しく賑わっているわけではないその通りの端に立てられた怪しげな看板を見て、ムトリ=ルーは内心で呟いた。傍から見ればその姿は、何も考えずに、ただそこに巡り会えた幸運に感謝し笑みを浮かべているようにも見える。
 さてはて、と口の中で言葉を紡ぎ、店(というか、テント)に足を踏み入れ―――、
「遅いぞ」
 やけに据わった目とかち合った。怒っているらしい。何故だかは知らないが、いつものことと言ってしまえばそれまでだ。…それにしても、彼が自分が遅れてきて怒るなど…正直、想像もできない。逆に喜ぶだろうという予想だったのだが。
「それは悪かったね」
「別に誰も悪いなんて言ってないだろうが!」
 返答に、何かあったな、と勘付く。というより、何か無ければそもそも、彼がこうして怒るわけがない。
 いや、そもそもこれは怒っているのか?
 疑問が頭をもたげた。いつもとは、違う、気がする。いや、確実に何かが違う。
 違和感の正体を掴もうとして、彼の顔をジッと見つめた。
 その瞬間だ。フッ、と視界の端をソレが掠った。同時に、ドンとそれなりに強い衝撃が腹部を襲った。胸の辺りが温かい。生きているものの温かさだ。ストレート、だというのにどこかふわふわとした印象を与えるその金色が、そこには在った。
 それと同時に、奥の方からガチャンッという陶器が落ちて割れた音がしたが、それはひとまず無視を決め込む。
「イル=ベル?」
 …何故?
 ぐりぐりと頭を押し付けてくる、自分よりも少々下の外見をした同居人に、ムトリ=ルーにしては珍しく困惑の表情で向かう。また何か言い争いでもしたのか。それにしてもこの行動には釈然としないものを感じるが。
 何かがチグハグだ。
 訝しげに眉を寄せ、けれどなるべく優しそうに聞こえる声色で「どうしたんだい?」と訊ねる。
 彼女が、緩慢とも素早いとも言えない動作で、顔を上げ―――そしてムトリ=ルーがそれが何のためであるか、察した。
 イル=ベルの顔は、赤かった。それはもう、それ以外にどうとも表せないくらいに、とにかく赤かった。その大きな紅の瞳は潤み、彼女の姿をどこか扇情的にさえ映す。どこに向けられているのか、焦点は一向にあっていないが。
 この症状がなんであるか、ムトリ=ルーは知っていた。
「………オーラン?」
 にっこり。
 そんな擬態語がよく似合いそうな笑顔に、不穏なものを感じ取ったらしいオーランが、身体を強張らせる。視線だけでも逃げようということだろうか、そこらを目的無く彷徨うソレが、彼の動揺を正しく表現していた。
「いやね、ジュースをお出ししたつもりだったんですがね。いったい何と間違えたやら…ちょっと慌てていましたしねぇ」
 “何と”? なんて白々しい。どう見たってこれは酒だろう。
「後で憶えていなよ?」
 目だけは怪しげに光らせて、いつもと同じ調子で告げると、オーランの顔が明らかに引き攣った。お得意様を怒らせる、という最大で最悪のミスをしたのだ。それも当然だろう。彼に根っこからの商業魂があるのかと訊ねられると首を傾げられずにはいられないが、それでも彼はこの世界の“商人”である。仮に微小だとしても、それは心の奥底に必ず存在する、絶対的なものなのだ。
 しかし、まあ、今のムトリ=ルーにとってそんなことはどうだっていいのだが。
「今割った壷の代金でチャラにしてくださいよ…あれ相当なお値打ちモノなんですけどねぇ」
 だからぶつぶつとそんなことをほざいているオーランはこの際完璧に無視しておくことにして。
 大体、どうしてレイ=ゼンはこの状態のイル=ベルを放置しているのか。彼なら怒鳴りながらも、彼女が変に転ばないようにと気に掛けるに違いないのに。
「れ…」
 依然としてぶすっとした顔を保ったままの同居人に文句を言おうと口を開くが、それは下からぬっと伸びてきた二つの手によって、口ごと押し留められてしまう。
 白い手だ。白くて小さい手。これが誰のものであるのか、ムトリ=ルーはよく知っている。
 外そうと思えば外せる。いかに彼女が力を入れていようとも、それは可能だ。とりあえず鼻にまで掛かっている手に、呼吸を遮られないようにと、それを片手でひょいと外した。が、その表情は困惑に染まっている。
 何がしたいんだ。
 彼女の手は、明らかに必要以上の力が込められていた。
「イル=ベル?」
 名を呼べば、何故か潤んだ瞳に涙が溜まっている。
「――――」
 ぽそぽそと、小さくその口が声を発した。あまりに小さくて、聞き取れない。
 なに、ともう一度促す。今度は彼女の口の動きをじっと見つめ、聴覚を尖らせる。軽く身体を屈めて、聞き取りやすいようにもした。今の彼女に、聞こえない、と言ってもおそらく無駄だろう。こちらが上手く聞き取れるようにと行動するなど、到底無理だ。口と鼻をいっぺんに覆われたことから考えると、更にその予感は強まる。
「――ちゃ、や――」
 まだ聞こえない。
 ただ、先程よりも若干震えが強まった気のする声色に、どうしたものかと思案する。これ以上、強く訊いていいものかどうか、判断に困る。
 が、それはあくまでムトリ=ルー側の困惑であり、今のイル=ベルにとってはそれこそ“どうでもいいこと”だったのだろう。すっ、と大きく息を吸うと、
「いっちゃやぁなのですーっ!」
 叫んだ。
 やけに高く、呂律が回っていない声で。
 ムトリ=ルーは突然の大音量に思わず彼女から身体を離し、顔を顰める。今のは、効いた。キーン、と鳴る耳を押さえつつ、叫んだ内容について、首を傾げた。要領を得ない発言だ。…酔っ払いにそれを求めることがそもそもの誤りなのかもしれないが。
「…えーと、誰が?」
「ムトリ=ルーが」
「ボクがどこに行くっていうの?」
「レイ=ゼンのとこ、ですぅ」
 至極簡潔に答えてくれるのはありがたいのだが、やっぱりわけがわからない。
 困惑で言葉を失っていると、それを拒否、あるいは否定と勘違いしたのだろうか、イル=ベルは更に顔を歪めた。大きな瞳がそれと共に細まり、溜まっていた涙がぽろぽろと零れ落ちる。
 どうしたものか。さすがに手に負えず、判断を仰ごうと――あるいはそのまま彼に押し付けてしまおうと――レイ=ゼンへと視線を向けようとしたが、それをいやに早く察知したイル=ベルが「や、やぁれす」と明らかに酔った声で邪魔する。
 どうやら逃亡は許されないらしい。
 やれやれと内心でため息を吐く。まったく、変なことになった。ムトリ=ルーにとったらこれは、神殺しなんぞよりもよっぽどか重要な案件だ。
「なんで嫌なの?」
「う…だ、だって…」
 酔っ払い相手に言葉を綺麗に飾っても仕方ないだろう。未だえぐえぐと泣き続けている――しかもこれも酒の効果か、いつもよりも盛大に泣き出している――イル=ベルに対して直球を投げる。
「むと…るー、れ、ぜんのほうが、すき、なんだも…」
「は?」
 ぽかんと口を開けて呆(ほう)けた。珍しい。こんなこと滅多に無いのに。自分の冷静な部分が、何をしているんだ、とそんな自分を嘲笑っている。
 が、そんなことは全てお構いなしとばかりに、イル=ベルは自分の主張を続ける。直球を投げたは良いが、それ以上のストレートがしかも速度を持ってして戻ってきた。そんな感じだ。
「ふたり…しゃべ、…と、たの…しそ……で、とおく、いっちゃう…みた、なの、…やぁ」
 いまいちまとまらない、加えてところどころが嗚咽によって抜けている言葉を、繋げて、更に呆ける。
「む、とり…る、いっちゃ、…ふえぇぇぇん!」
 もう、わけがわからない。
 子供のようにわんわん泣いているイル=ベルをあやすようにその頭を優しく撫でてやりながら、もう片方の手で米神付近を押さえる。
 つまりは、こういうことか。
 ムトリ=ルーは自分よりもレイ=ゼンの方が好き。話していると、二人が楽しそうだから、自分だけ疎外感を覚えてしまう。だから行かないで欲しい、と。
 ………ひとまず、レイ=ゼンが聞けば怒鳴りそうな内容――楽しそう、の件(くだり)などは、特に――であることは、理解した。解決法が、全く思い浮かばないことも、また同様に。
 酔いを醒まさせた方が手っ取り早いか。
 それにしても、なんだってそんな勘違いを―――そう、勘違いだ。自分がイル=ベルよりもレイ=ゼンを好いている、など。とんだ勘違いだ。
 自分はどちらのことも、同じくらい大事に想っているというのに。それこそ、二人が自分をそう思っているよりも、ずっとずっと強く。歪んでしまうまでに、強く。別に伝わらなくてもいい、否、むしろ伝わってくれるなとまで思っていたが、…まさかここでそのしっぺ返しを喰らうとは。
 段々と泣き止んできた彼女の様子に、これならなんとか自分たちの世界まで連れていけそうか、と判断して、もう一人の同居人の方を向く。今度はイル=ベルも止めなかった。気取られない程度に頭を押さえ込んでいるから、そのお陰で単に見えていないだけなのかもしれないが。
 しかし、その口は、今度は当人によって止められた。
 いや、止める、という明確な意思は無かっただろう。ただ彼のこちらを射抜くような視線が、ムトリ=ルーを閉口させたのだ。それに怯んだわけでは決してない。ただ、何故なのか。それが気になって。
 そこで不意に、最悪の予想が頭を過ぎった。

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