忍者ブログ
生きたいと想って。生きたいと願って。だから生きているのだと思えるこの場所で――
[16]  [17]  [18]  [19]  [20]  [21]  [22]  [23]  [24]  [25]  [26
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。




 すん、と鼻を鳴らす。
 本当はそれだってしたくなかったのだけれど、どうにも止まらないので仕方ない。
 痛みに耐えている間に、気付けばムトリ=ルーはもういなくて、ひどい、とちょっと思ったりしたのだけれど、それも仕方ないかと思い直す。彼がいれば痛みが引くというわけではないし、…むしろ正直に言ってしまえば、余計に長引くような、そんな気もしたので。
 また迷子になられても困るから、と引かれる右手は、温かい。もしかしたら自分の手が冷たいだけなのかもしれないけれど。前よりも緩く握られたそれに若干心許なさを覚えて、きゅうっと力を込めれば、同じくらいの力で握り返された。不安だという気持ちに気付いてくれたのかな、と期待する。きっとそうだ。レイ=ゼンはなんだかんだで優しいから。怒鳴ると怖いけれど。
 乱れた髪を手櫛で梳(と)く。大体整え終わり、痛みもだいぶ治まったので、一息吐く。
 おそらくそうして気を抜いたのがいけなかったのだと思う。
「ひゃっ」
 かん、とちょっとした段差に足を取られた。傾く世界に、――ああ違う、これは自分が傾いているんだ、と妙に現状から掛け離れた問題を頭で整理する。これは単に、“転んでいる”というところまで意識が行き着いていないためだ。それがきっと自分がよく躓き、よく転ぶ原因のひとつなのだと思う。
 転んだらまたレイ=ゼンに怒られるかな、という考えが頭を過ぎる。ぐいっ、と腕が引かれたのはその時だ。多少持ち上がった身体が、受け止められた。そのまま軽々と持ち上げられて、いつもと同じく人通りの多い――とはいえ中心の大通りではないので、そこに比べればそれほどでもない――そこの端へと逃れる。少々乱暴に下ろされるが、助けてもらったことには変わりないので、お礼を言うべく顔を上げ、固まった。
「またお前は…いったい何度転びかけたら気が済むんだ!」
 どうやら転ばなくても怒られるらしい。冷静に考えられたのはそれだけで、後はひたすら条件反射のように口でも心の中でも「ごめんなさい、ごめんなさいなのですーっ!」と繰り返していた。
「あと」
 ぐいと目元を、彼の服の袖で乱暴に拭かれる。布は比較的柔らかい素材だが、それでも力一杯やられると、痛い。びっくりして身体を硬直させ、されるがままの状態でいると、唐突にそれが止まった。
「いい加減泣き止め」
 いつもどおりの命令口調、の割にどことなく懇願の色も含まれている気がするその発言に、イル=ベルは大きな目をぱちくりとさせた。どうやらそれが彼の不可思議な行動に繋がっているらしいと気付いたイル=ベルが、まるで弁解するかのように慌てて言い繕う。
「あの、あの、大丈夫なのです、よ? もう痛くないですし。だからそこまで気にされなくても…」
「別に心配なんてしてない! 単に鬱陶しいだけ、だ」
 突然の大声にびくりと肩が震える。そのためか、少々話が噛み合っていないことには気付けなかった。
「ご、ごめんなさいごめんなさい!」
 再びじわりと浮かんできた涙に、向かい側の彼がぎょっとしたのを感じる。ああ駄目だ、となんとかそれが溢れてくるのを阻止しようと顔に、特に目に力を入れて踏ん張ってみるが、大して意味があるようには思えない。
 どうしよう、と一人焦る。泣いちゃ駄目なのに、どうしよう。
 どうしようもないのかもしれない。項垂れた瞬間に気が抜けて、ぽとりと一粒、涙が零れた。これは誤魔化しようがない。せめてレイ=ゼンが気付かなかったことを祈るばかりだ。それも無駄なことかもしれないが。
「イ、」
 声が発せられた瞬間、反射的に身体がびくりと震える。レイ=ゼンが苛立ったのを、なんとなく感じ、更に萎縮する。
 と。
「ケケケケケ…レイ=ゼンの旦那もイル=ベル嬢も、相変わらずですなぁ」
 救世主――少なくともこの時のイル=ベルにとって、彼の登場はまるでピンチの時に颯爽と現れる王子様のように思えたのだった。
 尤も、その風貌は、世間一般で言われるところの“王子様”とは掛け離れたものであったが。
 それまで泣いていたことも忘れて、声の主の方を見る。
 身体全体を隠す金色の怪しい刺繍入りの濃い紫のローブ、どくろをひたすら繋げた首飾り。黒い丸眼鏡を怪しげに光らせ、歪な笑みを浮かべている。ローブは身体に合っておらず、常にぶかぶかだ。今だって裾を引き摺っているし、袖だって長くて手が隠れてしまっている。不気味な赤色の髪が、ケケケと独特の笑いをするたびに揺れている。
「…オーランさん?」
 あいさ、と返答。なんでここに、という疑問は口にする前に解決した。自分たちが立っていたのは、どうやら彼の店の入り口だったらしい。紫色のテント型店舗がどんとそこに拵(こしら)えてあった。看板――彼の看板はよく目立つ。なにしろどくろの形をした巨大な立て札(オレンジ)だから――が立てられていないところを見ると、どうやら店舗を移動させてからそれほど時が経っていないらしい。
「イラッシャイ、お二人方。オーランの骨董店へようこそお越しくださいました。ケケッ。…ムトリ=ルーの旦那はいないようですが、はてさて?」
 手を――あるいは服の袖を口元に当てながら、肩を竦める。黒眼鏡に隠れてわからないが、その目はおそらくこの周辺をじろりと一瞥して帰ってきたところなのだろうと思われる。
「後からで来る予定だ」
 レイ=ゼンは機嫌が悪そうだ。彼は元々オーランをあまり好いていない。だからだろう。…にしても、いつもよりも声が低い。
「オヤオヤ、そいつは困りましたね。ここはまだ店舗登録を済ませておりませんで、迷われるかもしれませんなぁ。移転申請はきちんと出したので前の店舗に向かわれることはないかと思いますがね」
 そうでなくても、彼が前の場所に行くことはありえない。なにせ、もう行って来た後だ。
 しかし、それでいくとつまるところ、自分たち二人がここに辿り着けたことは、とてつもない幸運だったのか。
「あれならどうにかしてここを見つけるだろ。それに来れないならそれはそれで構わない」
 そうですかぁ? とこちらも特に気にした様子を見せないオーランは、そのままテントに手だけを突っ込む。そこから巨大なオレンジの看板を取り出すと、ぐさっと地面に突き刺した。
「さあさあ、これで開店ですよ、ケケケッ。どうです? 今から開店セールをやるんですがね、寄ってきませんかね。新商品も入荷いたしましたんでさぁ。ケケッ」
「セール…ですか?」
「なんにせよ買いたいと思うものが無いから、どうでもいいな」
 店内を見もせずにレイ=ゼンがキッパリと断った。そもそもこの店で買い物をしたことはイル=ベルもレイ=ゼンもない。あるのはムトリ=ルーだ。だから真の意味で“常連客”なのは、ムトリ=ルーただ一人だ。
 たしかに冷やかすだけというのも悪い、とイル=ベルも申し訳無さそうに顔を歪める。が、店主は全くそういうことを気にする性質ではないようで、「まあそう言わず…入るだけでもどうです? どうせもう一人の旦那をお待ちになるんでしょう?」と促す。そのまま二人がどうするかを見届けることもなく、テントの奥へと姿を消した。
 どうしますか、と先程まで気まずい雰囲気であったことも忘れて、イル=ベルはレイ=ゼンの様子を確かめようと、彼の顔を見上げた。道路の端にいるので、邪魔だという視線を送られることはないがしかし、いつまでもここにいるわけにもいかないだろうというのは、わかる。
「チッ…仕方ない。入るか」
 明らかに渋々だとわかる態度で、レイ=ゼンが入り口の幕を捲(めく)って入っていく。慌ててイル=ベルもその後に続いた。
 入り口の幕が再び下ろされ、完全に外と遮断される。基本的に“光”を苦手とするオーランは、開店していても店の幕は下りたままにしている。それもここに客が入らない一つの理由であるのだろう。外にいた時は聞こえていた喧騒も、どういう加工が施してあるのか、中までは全く入ってこない。
 見た目以上に広さを感じさせるテントのいたるところに、見るからに怪しげな商品が並ぶ。完成品であったり、まだひとつの部品のものであったり、とにかく様々だ。
 ふと天井を見たイル=ベルは、わあっと歓声を上げた。星の形をした色とりどりの装飾が吊るされている。大きさもまちまちだ。統一されていないところが、オーランらしい。だが、たしかこういうもの光り物は好きではなかったはずだが。
「新店舗を作る際にちょいと手を加えてみたんですさぁ。この位ならあっしも気になりませんでね」
「綺麗なのです~…」
 もはやオーランの言葉は右から左へ流れている状態だった。イル=ベルは胸の前で手を組んでうっとりしている。
「…手間掛けさせたな」
 レイ=ゼンがイル=ベルには聞こえないくらいの小声でオーランにそう告げて、片手で軽く礼をする。対するこの店の主人はケケケといつものように不気味に笑ってみせた。
「いやぁ、お客に媚売るのも仕事なもんで」
 その返答は、別段彼らを気遣ったものではなさそうで、どうやら本心のように見えた。
 フッと息を吐くと、レイ=ゼンは、未だにきらきらとした視線を天井に送っているイル=ベルを軽く叩(はた)いて現実に戻させた。
「いつまでそうしてる気だ。お前ずっとそんなことしてると、確実にどっかに躓いて転ぶだろうが。自重しろ阿呆!」
「う…や、だ、だってレイ=ゼン…とても綺麗なのです、よ?」
「関係ない」
 レイ=ゼンはイル=ベルの言葉をきっぱり跳ね除けると、彼女の二の腕をぐいと掴んで、自分の方へと寄せた。驚いて元の場所に戻ろうとしたイル=ベルだったが、下げた足が何かにぶつかり、かたん、と物音が立てたことで、何故彼がそうしたかを悟る。天井を見るうちに立ち位置が(何故か)移動し、今にも下に置いてある商品に躓きそうだったのだ。
 なんだか無性に情けない気持ちに襲われる。視線を伏せたイル=ベルに気付いてか気付かずか、レイ=ゼンはやれやれと肩を竦めた。
「大体お前はだな、」
「うっ…」
「って、お、おい」
 治まっていたはずの涙が再びじわりと浮かんできて、慌てて視線を落とす。顔ごと伏せなかったのは、先程それで粒が零れたのを記憶していたからだ。レイ=ゼンが狼狽している気配を感じる。ごめんなさい、と震えた声で吐こうとするが、それも上手くいかない。
「まあまあお二人方、これでも飲んで落ち着いてくださいよぉ」
 またも二人を仲裁するような形で、オーランがずいとその身体を滑り込ました。
 手には不思議な形をしたコップが二つ握られている。
「遠慮はいりませんさぁ。只今開店サービス中なんでね」
 ケケケケッ、と笑うオーランに、苦虫を噛み潰したような表情をしたのはやはりレイ=ゼンだ。さあさあ、と勧められるがままに、イル=ベルがコップを受け取る様を、口をへの字に曲げて傍観している。
「旦那も受け取ってくださいよ」
 それでもなお拒否するレイ=ゼンの手前で、彼に声を掛けることを気まずく思っていたイル=ベルは、それらを誤魔化すようにコップに顔を近づける。途端、いい香りがふわりと鼻腔をくすぐった。それにふにゃりと口を緩める。
「いい匂いがするのです…」
「ほぅら、イル=ベル嬢もこう言っておりますし、ねぇ」
 その反応をちろりと窺うと、渋々といったように受け取る。その表情はどこかやけくそ染みているようにも見える。
 彼がぐっとそれを煽るのを見てから、イル=ベルもそっとコップを傾けた。甘い味が口いっぱいに広がる。それに、なんだか身体がカッと熱くなったような…そんな感覚。飲み込むたびに、喉を通っていく熱いソレを感じる。
「は、れ…?」
 これはなにか、やばいような気がする。さしものイル=ベルにもそんな考えが過ぎったが、時既に遅しとはこのことか。
 世界はもうぐにゃりぐにゃりと歪んでしまっていた。

NEXT / MENU / BACK --- LUXUAL

PR



PROFILE
HN:
岩月クロ
HP:
性別:
女性
SEARCH
忍者ブログ [PR]