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生きたいと想って。生きたいと願って。だから生きているのだと思えるこの場所で――
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 レイ=ゼンは苛立っていた。
 何がこんなにイラつくのか、その理由――というか原因は、もう既にわかっている。わかっているのだが、自分にはそれを止める手段は無く、それわかっているが故に更に苛立つ、という悪循環を生み出していた。
 尤も、その“原因”はそれすらも想定の範囲内なのだろう。むしろ、それこそが彼が愉しんでいるモノ、なのだろう。厄介なことに。同じ部屋に居て、自分の殺気立ったものは絶対に伝わっているはずなのに、涼しげな顔でペンを回すムトリ=ルーを、じとりと睨む。
「ん?」
 と、彼はその視線に今しがた気が付いたとでも言うかのように、声を上げた。実際はもっと前から気が付いていたはずだ。
「どうしたのかな、レイ=ゼン。なんでそんなに怒っているんだい?」
「どうしてか、だって?」
 ひくり、と自分の頬が怒りによって引き攣るのを自覚する。
「答えてやろう。それはな、お前が仕事もしないくせにここに入り込んでるから、だっ!」
 久し振りに仕事部屋(とはいっても、もはやレイ=ゼンの自室といっても差し支えない程だ)に来て顔を出してペンを持って、何をするのかと思い胡乱げに見ていれば(だって彼が自分から好んで仕事をするような性質なら自分はこんなに苦労してはいない)、結局そのペンを回すだけで。一体何がしたかったのか。―――大方、苛立つレイ=ゼンを見て愉しんでいたのだろうと、そんな予想はつくのだが、その結論に至ると相手の思惑通り苛立ってきている自分に嫌気が差してくるので、あえてその思考は途中で止めた。
「おや。それは失礼。それで集中力を欠いてしまったのかな。さっきから字が乱れているようだからね」
 くすくすとムトリ=ルーが笑う。本っ当に腹が立つ。
「悪かったね、気付かなくて。仕方ない、もう失礼するかな」
「…………」
 むしろ残って仕事をしていけと言いたかったのだが、言ったところで素直に聞くとは到底思えず、それならばまだ彼がここにいない方がマシだと思い、口を閉ざす。本当は言ってやりたいことが山ほどあったのだが…。
 席を立ったムトリ=ルーに最後に一瞥をくれてやり、そこからはもう視界に入れるのも嫌だとばかりに、書類に目を落とした。
 ―――のだが。
 ガチャリ、とドアが開く音。とほぼ同時に、二人分の、声。
「あれ?」
「うひゃあっ」
 それだけで、誰が入ってきたのか、わかった。
 というか、元々ここは三人しかいないのだから、わかって当然だ。
 不承不承顔を上げると、案の定、彼女――イル=ベルがドアの外に立っていた。
「どうしたの、イル=ベル? なんでここに?」
 ムトリ=ルーの声は、心なし先程よりも優しげだ。彼はイル=ベルにだけは甘い。…他の者に比べれば、だが。
「い、いえ、べ、別にっ、ここまできたは良いのですがどうしようってドアの前で十分くらい立っていたとか、そういうわけではないのですよっ?!」
 …………。どうやらそういうことらしい。
 しかし、ということは、何か用事があったのだろうか。しかも、切り出しにくいような感じの。
 ふっとレイ=ゼンの頭に浮かんだのは、日頃彼女が起こす失敗のことだった。また何かやらかしたのか。はあ、と内心ため息を吐きながら、彼女の姿を改めて視界に入れる。―――と、そこで自分の間違いに気付いた。まだ何かをやらかしたのではないらしい。どちらかといえば、これからそれをするのだ、と。
 彼女の手には少々大きめの皿があった。よくもまあ落とさず割らずにここまで持ってこれたなと考える。例えばこれが他の誰かだったりしたら然程――否、全く感心などしないことだが、こと彼女に関してだけは、それだけで驚きに値するのだ。
 その皿の上には、星やら何やらを模ったクッキーが乗せられていた。見た目だけなら、美味しそうと言える出来だ。
 ………見た目だけなら。
 味はというと、………正直、よくわからない。おそらくだが、普通に作って、それが全て彼女が考えている通りの物を使って出来たのならば、美味しいといえるのだろう。ただし何らかの失敗(砂糖と塩を間違えたりとか、そういう感じの)があるため、なかなか独特の味のするものが出来上がることの方が多い。それでも案外食べられるものもあるが、口に入れた瞬間に食べたことを後悔するような出来のものもある。
 成功の割合は三割くらい。残り七割に当たると、悲惨な目に遭う。それでも彼女にしては成功が三割あるだけマシかもしれないと思ってしまうあたり、自分と彼女(のどじ)との付き合いが長いことを否応無しに自覚してしまう。
 味見をすれば良いのに、とこの前零したら、ちゃんとしてるのです、と涙目で返された。彼女がいつも最初に食べる時だけアタリを引くというくじ運の良さを発揮しているのか、それとも彼女の舌が美味しくても不味くても「美味しい」と思ってしまうほどに麻痺しているのか、どちらなのかはレイ=ゼンは知らない。知ったところで何の対策にもならない気がしたが、なんとなくどちらなのか、知りたい気もする。せめて原因くらいは、認知しておきたい。
「あの、あの、ムトリ=ルーが何やら仕事部屋に向かったので、何かあるのかと思って、あ、あたしも何かしなくてはと…お、思ったの、ですよ…?」
 尻すぼみになっていくのは、いつもくすくすと笑っているムトリ=ルーですら少々引き攣った笑みで固まっているのを見てしまったからだろう。おそらく食べるのが自分でなければ、よろこんで彼女を向かい入れたのだろうが。
 ともかく、彼女をあのまま立たせておくのは得策ではない。レイ=ゼンは立ち上がると、二人のいる方に近寄り、イル=ベルから皿を取り上げた。彼女がずっと持っていたのでは、落とす危険性が捨てきれないからだ。
「あ、ありが―――ご、ごめんなさいなのですーっ」
 途中まで感謝の言葉だったのに、なんで急に謝罪に変わるのか。何故だかムッとしてイル=ベルを見下げれば(身長の関係でこうなってしまう)、びくりと彼女の肩が震える。
「なんだよ」
「多分ねぇ、キミのその険しい顔が原因だと思うけど」
 疑問に答えを返したのは、ムトリ=ルーだった。
「…悪かったな。これが素だ」
「う、あ……で、でもいつもはもう少し……」
 ぼそぼそとイル=ベルが口を出すが、目を向けた瞬間に黙った。
 ………そんなに不機嫌そうな顔をしているだろうか。そりゃ、確かに機嫌は良くないが。
「とりあえず、食べてみたら?」
「…お前が先に食ったらどうだムトリ=ルー?」
「えぇ? 良いよボクは後で。だってこれ、イル=ベルが『頑張ってるから~』って理由で作ったんでしょ? だったらキミが食べるべきだよ、ウン。ボクよりもキミの方が頑張っているし。功労者だよ、功労者。一番に食べる権利がある」
「そうか。それじゃ特別にその権利とやらをお前に譲ってやるよ」
「とんでもない!」
 大袈裟に驚いてみせる。いかにもわざとらしい言葉なのに、何故かわざとらしく感じない。不思議だ。いっそどこかの劇団にでも出してしまえば自分の苦労も少しは減るだろうかとか、そんな考えさえ浮かぶ。
「ねえイル=ベル、キミもレイ=ゼンに一番に食べて欲しいだろう?」
「へ? あ、はい」
 頷いた後に「あ…」と口を手で覆う。急に振られた話題についつい返事をしてしまったといったところか。ちろりちろりとこちらの機嫌を窺うように視線を寄こすイル=ベルに、視線を向けると、小さい悲鳴を上げられた。…今のは流石に悪かったと後悔する。思いっきり睨んだから。
「ほらほら、そういうことだから。遠慮しなくていいよ、レイ=ゼン」
 にこにこにこ、とムトリ=ルーが笑っている。さっきまで一緒に固まっていたくせに、と恨みがましく睨むが、それを気にした様子もない。いつものことだが。そう、いつものこと。気付かなかったことなど一度もないのに、それを気にしたことだって一度もないのだ。
「うう………」
 と、明らかに沈みきった声が下から聞こえてきた。
「や、やっぱり持って帰るのです、それ」
 だから返してくださいーっ、と皿に手を伸ばす彼女を、反射的に避けた。結果、案の定というべきか、彼女はバランスを崩し、傾く。その身体を、転ぶ寸でのところでムトリ=ルーが受け止めた。
 一瞬。ほんの一瞬だけ、彼の表情がひどく安堵したものに変わる。“いつものように”、すぐに掻き消えたが。からかいの表情で、「危なかったね~」と言う。
「あううう。と、とりあえず、それ、あの……返してくださいです。お腹を壊したら、大変なのです」
 しょぼくれながらも、立ち上がり、また手を伸ばす。少しだけ学習したのか、今度は手を伸ばすだけ。無理にこちらから取ろうとはしない。尤も、もうその気力がないだけなのかもしれないが。俯いた彼女の表情は見えないが、おそらくまた涙目なのだろうなと思う。
 ――――酷く、嫌な気分だ。何がそうさせるのかは、よく、わからないが。
 ムトリ=ルーがじっとこちらを見ている。なんだってこいつは、こういう時に限ってこちらをからかうような笑みを浮かべていないのか。
 手に持っていた皿を机に置けば、俯いていた彼女が不思議そうな顔でこちらを見ていた。
 クッキーを一枚、手に取る。
「………………」
「うわあ。レイ=ゼンすっごいよ、眉間の皺」
「………あの、そんなに嫌なら食べなくても良いのですよ?」
 外野の声を無視して、それを口に運ぶ。ただし、全部を口に入れる勇気は無かったので、半分だけ。正直なところ、彼女の料理には若干のトラウマがあったりする。いつぞやのアレ(…それが何だったのかは、未だに定かではない)は悲惨だった。死ぬかと思った。どのくらいヤバいかというと、あれだ。ある程度のものならば不味くても笑っていられるムトリ=ルーが、顔を青くするぐらいだ。
 あれは何と何を入れ間違えたんだっけか、とそんなことを現実逃避気味に考えながら(逃避する方向を間違えている気がしないでもない)、レイ=ゼンはそれを咀嚼する。
「あ、あのう………?」
 どうしたものか、とレイ=ゼンは悩んだ。正直に言うべきか否か。
「…不味かったですか?」
「ああ」
 反射的に頷き、すぐに訂正した。
「いや、不味くは、ない。ただ、美味しくもない」
「つまり、微妙ってことだね」
 本当に、そんな感じだ。人によってはこれを不味いというかもしれないが、美味しいという者は…………もしかしたら、どこかには、いるかもしれない。
「味見、してるんだよな…?」
「は、はいなのです…」
 だとすると、やっぱりアレか。くじ運が良いのか。全体運は悪いくせに。
 それとも――――
「イル=ベル」
「ひゃっ、は、はい?」
 目をぱちくりとさせている彼女の口に、食べかけのクッキーを放り込んだ。目の前で彼女が固まった気がしたが、まあそれはいつものことかと判断する。
 知りたいのはそこではない。
「美味いか、それ?」
「へっ? あ、は、ははははいですよっ!?」
「………やっぱり舌が麻痺してるのか…?」
 アレが美味しいなどとは。
 単に妙なところで運が良いのか。それとも味覚がおかしいのか。その二つの選択肢から答えを選ぶとすると、先程の返答を見るに、後者の確率の方が多そうだ。そもそも彼女に“運”というものが一欠けらでもあるという選択肢自体がおかしいのかもしれない、などと失礼なことを考えながら、彼女の様子を見ていると、ムトリ=ルーが心底呆れたという風に、口を挟んだ。
「それ、間違ってると思うよ。少なくとも、今のじゃ判断つかないでしょ、イル=ベルが」
「は?」
「“は?”じゃないでしょ。もしかして何もわかってない?―――前々からそうだとは思ってたけど、今改めて思ったよ。キミって…」
 そこでムトリ=ルーは口を噤んだ。レイ=ゼンは眉を寄せる。
「俺がなんだって?」
「…………。別に?」
「~~~っ、言う気がないなら最初から言うなっ!」
 途中で止められるのが一番嫌だ。一体彼は何を言いたかったのか。…いや、ことによっては聞かなくて正解だったかもしれないが。なにせムトリ=ルーは毎回毎回碌なことを言わないのだから。
「答え合わせぐらいなら協力してあげるよ。だからさっきのは存分に気にして、自分で考えなよ。―――イル=ベル? 大丈夫? 口にクッキー入ったままだけど、いい加減ふやけてるよソレ」
 ふっと心底馬鹿にした表情をした後、ムトリ=ルーはその表情を一変させ、ぱっと見心配しているように見えないこともない顔で、イル=ベルの顔の前でひらひらと手を振ってみせる。彼女はそれでようやく我に返ったようで、クッキーをもぐもぐと咀嚼し始める。どことなくその動作がぎこちないことと、彼女の顔が若干赤いことに気が付いて、レイ=ゼンは小首を傾げた。
「やっぱり不味いって気付いたのか…?」
 ぽつりと呟いた言葉に、ムトリ=ルーが「…キミの口から正解が出るのは一体いつになるんだろうね」とこれ以上無いという程に呆れた目で見ていたのだが、生憎とレイ=ゼンの耳にそれが入ることはなかった。


 その後三人でクッキーを食していくと、味に偏りがあることが発覚した。何故同じ生地で作って同じオーブンで焼いたクッキーにここまでの味の偏りが出来るのかという疑問は結局解決されなかった。
 もちろんというべきか、ムトリ=ルーからレイ=ゼンに出された“課題”の方も、結果はさっぱりであったのだが、彼の中ではどうやらそれは『何らかのショック(おそらく味)によるもの』と決め付けられてしまっているらしく、ムトリ=ルーは深く深くため息を吐いた。確かに彼のそういった部分は、最初の内は十分に愉しめるものだったのだが、ここまでくるともう呆れるしかない。
 …………だがまあ。
 ちろり、とイル=ベルを見る。まだ若干赤い頬をそのままに、どこかぼーっとした顔で、時折「んん?」と小首を傾げながらクッキーを頬張っている。
 ムトリ=ルーは再びため息を吐いた。
 彼女もまだ気付いていないようだから、おあいことするべきか。と。
 大体こうして悩むのは自分の役回りじゃないのにな、と少々の不平不満を心の中でぼやきつつ、自身もクッキーを口に運ぶのだった。

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